【なでしこジャパン】宮間あやはキャプテンシーをどのように身につけてきたのか? (2ページ目)

  • 早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko photo by Hayakusa Noriko

 北京オリンピックのときは、当時のキャプテンだった池田浩美の部屋に入り浸っていた。「居心地がいいから(笑)。用がなくても、イソさん(池田の旧姓の磯崎)の部屋にいました」(宮間)。が、もちろん他にも理由はある。「イソさんがわからないところ、手が回らないところもあるはずだから、私が気づいたところを一方的に報告っていうか、伝えに行ってた」(宮間)のだ。

 この頃の宮間は、ようやくなでしこジャパンのレギュラーに定着し始めた時期。世間からの注目やプレッシャーは池田や澤といった先輩選手がすべて引き受けてくれていた。このことを宮間が実感したのはロンドン五輪前のことだ。"ワールドカップ優勝メンバー"、"なでしこジャパンキャプテン"としての注目が宮間に集中した。五輪独特のプレッシャーもあった。

「こういうプレッシャーを今までは全部イソさんたちが被ってくれてたんだなって、改めて感じますよね」(宮間)。

 いろんな瞬間を先輩たちはどうやっていたかと照らし合わせながら、さらに自分らしくアレンジしながらなでしこジャパンをまとめていった。これがなでしこジャパンでの宮間の姿だ。

 湯郷ベルでの宮間のキャプテンシーもまた興味深い。ウォーミングアップ、トレーニング、ダウン――そのどれをとっても宮間の存在感は他を圧倒している。そして宮間から出される指示はストレートかつダイレクトだ。そこまで言う?とこちらが心配になるくらい厳しい口調でゲキが飛ぶこともある。

 代表では一緒にトレーニングをする時間が少なく、それぞれのチームで積み重ねてきた選手たちばかりのために、周りの選手に対しては一種の"配慮"が存在する。が、湯郷はまさに積み重ねる場所。何より長い時間を共に過ごすことで深い信頼関係がそこにはある。この信頼関係なくして、厳しい宮間のスタイルは成り立たない。

 ピッチの上では妥協は一切許さない。「このチームを強くする!」という思いがあるからだ。チームを強くするためにはどんなトレーニングでもやり遂げる。課題を指摘されれば、「なるほど......練習します!」と、かなり前向きに受け止める。

「家族よりも長く一緒にいる同士」とその存在の大きさを語るGK福元美穂とともに湯郷に来たのはチームが発足する時だった。当時のメンバーにはサッカー初心者もいた。地域リーグからのスタートだった。あれから10年という年月をかけてチームと一緒に成長してきたのだ。

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