澤穂希が切り開いた世界一への道。「ひとつひとつ積み上げてきた」 (2ページ目)

  • 早草紀子●文 text by Hayakusa Noriko
  • photo by Enrico Calderoni/AFLO SPORT


 しかし、この投票には女子サッカーが特にさかんでない国々も投票をする。票が割れる可能性もあった。結果はすべてのカテゴリーで澤がトップとなり、トータル28.51%の票を得ての最優秀選手を獲得。

 隣に座るワンバックが澤の肩に優しく触れて祝福すると、緊張していた様子の澤はニッコリと笑みを返す。艶やかな振袖姿の澤は壇上に上がり、ブラッダ―会長からトロフィーを受け取った。

 マイクの前でこれまで女子サッカーに携わったすべての人に感謝を述べると、澤は最後に、「この賞を糧にまた日々精進したい」とスピーチを締めくくった。「とうとうここまで来た」とも、「ようやくここまで来た」ともどこか違う、将来を見据えている表情だった。

 澤が最初に"世界"に触れたのは1995年の女子世界選手権スウェーデン大会だった。澤は当時16歳。まだ各国ともに手さぐりで歩んでいる状況だった。アメリカは自分たちがトップに立ち、歴史を作ろうとしていたし、ヨーロッパはひと足早く女子サッカーの土台ができており、ブラジルはお国柄、サッカーと名がつくもので弱いなどあり得ないと全力で強化に乗り出そうとしていた。

 澤はこの大会から"世界"を大きく意識するようになった。日本は決勝トーナメントに進むものの、アメリカに完敗する。「とにかく相手陣地に入れない。同じ人間同士なのにこんなことってあるの?って訳わからないくらいアメリカは強かった......」と澤は当時を振り返っている。

 そんな中での日本のポジションは、他国からすると極端に言えば"カモ"に近かったかもしれない。同組に日本の名を見つけると対戦国はラッキーと捉える。注意は払わなければならないが、対策を講じるほどではない――こういった認識は実際、ドイツのワールドカップまで続いていた――茫然とするほどの"差"がそこにはあったのだ。

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