「君がマスクを被るのは優勝するためだ」 世界の王貞治と20歳の城島健司が築いたホークス黄金時代の礎
福岡ソフトバンクホークスCBO 城島健司インタビュー(前編)
幼い頃に聞かされた"世界のホームラン王"の伝説。やがてその王貞治氏が監督を務める福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団し、正捕手としてチームを引っ張る存在となった城島健司氏。出会いから衝突、そして信頼に至るまで、王監督との濃密な日々を、ホークスCBO(チーフベースボールオフィサー)となった今、あらためて振り返る。
1997年に当時プロ3年目の城島健司(右)を正捕手に抜擢したダイエー王貞治監督 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【王監督との運命的な出会い】
── 城島さんは幼少期からすでに王さんへの憧れを抱いていたと聞きます。でも本格的に野球を始めた小学校4年生の頃といえば1986年なので、すでに「王選手」の時代ではなく巨人の4番といえば原辰徳選手だったのでは?
城島 そうです。王さんは僕が4歳の時に引退していますから。だから現役の記憶はないんです。だけど、僕が野球を始めた頃、親父に「健司、すごいバッターがいたんだぞ。世界記録のホームランを打ったんだぞ。オマエも王さんみたいになるんだ」とよく聞かされていました。地元の長崎で、当時野球中継といえば巨人戦。まだホークスも福岡に移転する前です。
それに、僕がテレビで見る王さんってホームランを打つシーンばかりじゃないですか。そりゃそうですよ。王さんの現役時代を紹介する時に三振しているとこは流さないでしょ(笑)。だから、「ホームランばかり打つすごい人なんだ」とイメージがすごく膨らんでいたのは確かでした。
── そして王監督が就任したばかりのダイエーにドラフト1位で入団しました。
城島 本当に運命というか、すごい縁だなと思いました。ただ、入ってみると王監督に「うわっ!」とはならず、むしろ秋山(幸二)さんとか工藤(公康)さんを見た時のほうが興奮しました。僕の学生時代は西武が黄金期。そして日本シリーズはまだデーゲームの時代。体育の授業中とかに体育館の裏に行って、テレビがあるところを見つけて日本シリーズを見てました。だから「あの時の秋山、工藤がいる!」って(笑)。王さんはやっぱり現役時代を知らないから、世界のホームラン王と言われても、どこか別世界な感じだったんですよね。
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著者プロフィール
田尻耕太郎 (たじり・こうたろう)
1978年生まれ、熊本市出身。 法政大学で「スポーツ法政新聞」に所属。 卒業後に『月刊ホークス』の編集記者となり、2004年8月に独立。 九州・福岡を拠点に、ホークスを中心に取材活動を続け、雑誌媒体などに執筆している。






























































