落合博満から「巨人で一緒にやらない?」。FA移籍第1号の松永浩美が明かす、移籍先にダイエーを選んだ理由

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

 今オフ、森友哉(西武→オリックス)、嶺井博希(DeNA→ソフトバンク)、伏見寅威(オリックス→日本ハム)の3人の捕手、近藤健介(日本ハム→ソフトバンク)などの移籍で注目を集めたFA。その制度の導入には、阪急ブレーブス(現オリックス)の主力として活躍した"史上最強のスイッチヒッター"松永浩美氏が深く関わった。

 オリックスの選手会長を務めていた1990年オフ、松永氏が選手会で制度の導入を提案。1993年には自身がFA移籍第1号として阪神からダイエーに移籍した。制度導入を進めた理由や経緯、FAで中日から巨人に移籍した落合博満氏との知られざるエピソードなどを聞いた。

1993年オフ、ダイエーとの入団交渉を終えた松永氏(左)と根本陸夫監督1993年オフ、ダイエーとの入団交渉を終えた松永氏(左)と根本陸夫監督この記事に関連する写真を見る***

――1993年オフにFA制度が導入され、松永さんや落合さんのほか、駒田徳広さん(巨人→横浜ベイスターズ〈現DeNA〉)と槙原寛己さん(巨人と再契約)、石嶺和彦さん(オリックス→阪神)もFAを宣言しました。当時を振り返っていただけますか?

松永浩美(以下:松永) オフシーズンになると、日本シリーズの解説やメディアなどへの出演で、他チームの選手と顔を合わせる機会がけっこうあったんです。FAが導入された1993年オフに落合さんと会った時には、「(FA制度を利用して)マツはどこへ行くの?巨人で一緒にやらない?」と言われました(笑)。タイミング的には、お互いにFAを宣言して書類を提出した後でしたし、落合さんも冗談だったと思いますけどね。私も真に受けませんでした。

――その時はどう答えたんですか?

松永 一緒にやる・やらないはさておき、FAに対するスタンスが落合さんとは全然違っていたので......。落合さんは、憧れの長嶋茂雄さんが巨人の監督だったので「巨人へ行きたい」という思いがあった。一方の私は、FA制度を"作った"側の人間でもあったので、「この制度を使うと、プロ野球はどうなるのか」という客観的な視点がありました。

 私はFA制度の導入を提案する際に、「12球団の人気や戦力の均衡」「球団と選手がお互いの関係を見直し、球界をよりよくしていく」といったことを目的に掲げていました。そういう視点では、巨人の槙原など、人気球団からFA宣言する選手が出たことは価値があると思っていました。また、各球団には選手から「この球団に入りたい」と思われるような"営業努力"もしてもらいたかった。だから私は、すでに人気がある球団にFAで移籍する考えはありませんでした。

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