斎藤佑樹が甲子園決勝で田中将大に抱いた複雑な感情「投げるボールは敵わないけど、エースとしては負けていない」

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Okazawa Katsuro

連載「斎藤佑樹、野球の旅〜ハンカチ王子の告白」第19回

 2006年、夏の甲子園。駒大苫小牧と早実の決勝......延長15回で引き分けた翌日の再試合は、大詰めを迎えていた。4−3と早実がリードして、9回表ツーアウト、ランナーなし。マウンドには斎藤佑樹、バッターボックスには田中将大が立っていた。

夏の甲子園決勝再試合で駒大苫小牧を破り日本一を達成した早実のエース・斎藤佑樹夏の甲子園決勝再試合で駒大苫小牧を破り日本一を達成した早実のエース・斎藤佑樹この記事に関連する写真を見る

マー君を質問攻め

 試合が終わってから「できすぎた幕切れだった」とよく言われました。のちに"マー君"と"佑ちゃん"と呼ばれる僕らが、再試合の9回ツーアウトで対戦する......もちろん、その意味は僕にもわかります(笑)。

 ただ当時の僕のなかには、ツーアウトでマー君、という特別な意識は本当にありませんでした。その理由は2つあります。

 まずひとつは、早実のピッチャーとして意識すべき駒大苫小牧のバッターはあくまで4番の本間(篤史)君だったということ。本間君をいかに抑えるかというのが試合に勝つためのカギだと思っていましたから、バッターとしてのマー君は9人のなかの1人という意識しか持っていなかったんです。

 もうひとつは、それでもピッチャーとしてのマー君には、僕のなかに複雑な感情があって、それが『彼は特別じゃない』と思わせていたのかもしれません。そもそも2年秋の明治神宮大会で彼のピッチングを初めて見た時から、これは次元の違うピッチャーだと思っていました。だからピッチャーとしてのマー君に対するリスペクトの気持ちはずっと持っていて、投げるボールに関してはとても敵わないと思っていたのも事実です。

 実際、彼は僕ができないことをいくつもできてしまうピッチャーでした。夏の甲子園が終わってからの高校JAPANで一緒になった時、知りたいことがいっぱいあって、僕はマー君を質問攻めにしました。

 スライダーの握りを教えてもらったり......僕はスライダーを人差し指で弾くイメージで投げていたんですが、マー君のスライダーは"宜野座カーブ(2001年の選抜に出場した宜野座高校の比嘉裕が操った、縦に落ちながら加速するイメージのカーブ、テークバックのときに手の甲がキャッチャーのほうを向くなど、腕の使い方が独特)"みたいに捻って投げる印象があったんです。それが不思議でいろいろと聞いてやってみたんですけど、僕には彼のスライダーを再現するのは無理でした。

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