わずか2年で広島を戦力外となった鈴木寛人は、今も「イップス」と闘いながら再びマウンドを目指す

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Sankei Visual、Kikuchi Takahiro

 その言葉はあまりにショッキングで、あまりに寂しいものだった。

「プロでは1球も"自分のボール"を投げられませんでした」

 ドラフト3位で入団した高校生のホープがたった2年で戦力外通告を受け、プロの世界を去る。尋常ではない事態の背後にいたのは、イップスという悪魔だった。

2019年のドラフトで広島から3位指名を受けた鈴木寛人2019年のドラフトで広島から3位指名を受けた鈴木寛人この記事に関連する写真を見る

将来を嘱望された本格派右腕

 2022年9月。茨城・霞ヶ浦高校のブルペン脇に、140キロ台の快速球を投げ込む後輩たちを見守る鈴木寛人の姿があった。

「自分も高校生の頃は投げられていたのに......と思ったりもしますけど、彼らがもっとよくなるように教えたいですね」

 鈴木は現在、霞ヶ浦の野球部寮で生活しながら、野球部の練習に参加している。霞ヶ浦の高橋祐二監督は「1年間ここで練習して、イップスを治して社会人を含めどこかのチームで復帰させてやりたいんです」と語る。このままユニホームを脱ぐには、あまりに惜しい。高橋監督の言葉からは、そんな悲痛な親心が滲んだ。

 高校時代の鈴木は、将来を嘱望された正統派の右投手だった。身長186センチ、体重79キロのスリムな投手体型。バランスのいい投球フォームから放たれるストレートは、最速148キロを計測した。

 高校3年夏前の練習試合で森敬斗(現DeNA)を擁する桐蔭学園を完封して自信をつけ、エースとして夏の茨城大会優勝に導いた。甲子園では履正社に打ち込まれたものの、右腕を縦に叩ける腕の振りはスカウト陣から高く評価された。

 2019年ドラフト3位で広島に入団。広島には鈴木にとって2年先輩の遠藤淳志もいた。大きな不安もなく、プロの世界に飛び込めたはずだった。

 2020年2月中旬、宮崎・日南での広島二軍キャンプを高橋監督が訪れた。すると、二軍首脳陣から「鈴木を見てやってください」と声をかけられた。高橋監督が鈴木のキャッチボールを見ると、少し気になる部分があった。

「高校ではテイクバック(投げ腕を回すバックスイングのこと)で右手が背中側に入らないよう指導していたんです。でも、この時の寛人は右腕が背中側に入っていた。無意識のうちに力んで投げているのかな、と思いました」

1 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る