八木裕が語る、判定が覆った「幻のサヨナラホームラン」。史上最長6時間26分を戦うも引き分けで「あの試合に勝っていれば......」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

1992年の猛虎伝〜阪神タイガース"史上最驚"の2位
証言者:八木裕(後編)

前編:八木裕が明かす「ラッキーゾーン撤去と阪神快進撃の理由」

 前半戦終了時点でチーム防御率は12球団トップの2.94──。1992年の阪神快進撃は投手陣の安定が要因だった。一方、打線もトーマス・オマリー、ジム・パチョレックの両外国人選手が中軸で機能し、若手の台頭で勢いもあった。だが、後半戦の終盤に湿りがちとなる。当時5番打者の八木裕によれば、発端は9月11日のヤクルト戦。自ら放った「サヨナラ2ラン」が幻になったことだという。その一打について八木に聞く。

一度はホームランと判定され、阪神のサヨナラ勝ちと思われたが......一度はホームランと判定され、阪神のサヨナラ勝ちと思われたが......この記事に関連する写真を見る

ホームランの弾道ではなかった

「3対3の同点で9回裏、2アウトからパチョレックがセンター前ヒットで出たあとです。相手ピッチャーは岡林(洋一)で、カウント3−2になった。当然、一塁ランナーのパチョレックは走りますし、タイミングが合えば思いきっていくと決めていました。そこにアウトコースのスライダーがきた。完璧に打てました。レフト方向へ、いい当たりでした。

 ただ、弾道が低かったので、スタンドには届かないだろうと。それでも外野の頭を越えてくれれば、パチョレックは走ってましたから点は入る。外野手の頭だけは越えてくれと祈りながら一塁ベースを目指しました。ホームランとは思ってませんので、全力疾走で一塁を回りましたね」
 
 打った本人が一番わかる、ということだろうか。バットを振りきった途端、八木は一塁ランナーの生還を想定した。ホームランとは思わなかったのだ。ところが、平光清塁審が右手をぐるぐる回している。同年から審判は6人制から4人制になり、平光塁審は定位置の三塁後方から外野へと走ってジャッジしていた。

「平光さんのジェスチャーを見た瞬間、『あれで入ったの?』と思いました。高さはわかりますからね。どれくらいの打球を打てば入るか、というのは。よくあの打球でフェンスオーバーしたなと思いながら、三塁コーチャーの島野(育夫)さんと一緒に、バンザイしながら還ってきたわけです。みんなに頭をボンボン叩かれて大変でした」

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