斎藤佑樹が長年愛用したミズノのグラブ。山奥にある工場を訪ねてマイスターに聞きたかったこと (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Ohi Saki

ミズノのグラブマイスターの岸本耕作氏(写真左)と斎藤佑樹ミズノのグラブマイスターの岸本耕作氏(写真左)と斎藤佑樹この記事に関連する写真を見る「選手からすれば、選手目線のいろんなこだわりはあるんですけど、でも、グラブをつくっている側からしたら、また違うこだわりがあるんじゃないか、ということをぜひ訊いてみたいですね。こうしてくれと言われて、内心では、いやいや、このままのほうがいいのにな、なぜ変えるんだろうって、きっと思ってるんじゃないかなって(笑)」

プロのグラブは牛一頭の革で1個

 兵庫県宍粟(しそう)市----東の匝瑳(そうさ、千葉県)、西の宍粟といえば難読地名の両横綱と言われている。もともとは宍粟郡の山崎町、一宮町、千種町、波賀町が合併、2005年に宍粟市となった。

 ミズノテクニクスの工場は1970年、この宍粟の波賀町で誕生している。ミズノテクニクス波賀工場----ミズノが世界に誇るグラブ工場である。ここでは主にプロ野球選手が使用するグラブ、一般ユーザー向けのオーダーグラブが、グラブ製作技術者"クラフトマン"はじめ多くの人によってつくられている。斎藤を出迎えたのは最高位のグラブマイスター、この道47年目のクラフトマン、岸本耕作さんだった。

斎藤「ご無沙汰しています」

岸本「遠路はるばる、ようこそお越し下さいました」

 波賀工場へ足を運ぶのは初めてだった斎藤だが、クラフトマンとアンバサダー(ミズノと契約するプロ野球選手)が大阪で意見交換をする場では毎オフ、岸本さんと顔を合わせてきた。波賀で生まれ育った岸本さんが中学校へ入った時、波賀にミズノの工場ができた。当時、野球をやっていた岸本さんは、「この工場でグラブをつくる仕事がしたい」と思ったのだという。岸本さんは斎藤を工場へ招き入れ、さっそく案内を開始する。

 まずは倉庫で革を見た。

 いろんな色の革が丸められ、筒状の棚に収められている。岸本さんが説明を始めた。

「ミズノのグラブの革は"キップ"という生後1年未満の仔牛の革と、"エリート"という生後2年の成牛の革の2種類があります。牛一頭の革からグラブ2個できるかどうかというくらいです。プロ選手のグラブは、牛一頭の革で1個しかつくりません」

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