斎藤佑樹が長年愛用したミズノのグラブ。山奥にある工場を訪ねてマイスターに聞きたかったこと

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Ohi Saki

斎藤佑樹、グラブ工場を訪ねて(前編)

 昨年末のことだった。

「この前、兵庫県の山奥にあるミズノのグラブ工場へ行ってきてね......」

 そんな話をしたら、斎藤佑樹の目が輝いた。

「えっ、僕も行ってみたいです」

 半年後、その想いが叶うことになる。

 大阪の伊丹空港からレンタカーを借りて、中国自動車道を西へ走らせる。斎藤はおもむろに昔話を始めた。

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初めて買ってもらったグラブ

「小学校の1年生の時、初めて使ったのは兄のお古でしたね。ローリングスの内野手用のグラブです。濃い茶色で、四角い革パーツがウェブに組み込まれたワンピースタイプのグラブだった記憶があります。初めてグラブを買ってもらったのは小学校4年の時で、それがミズノの黒いグラブでした。赤のビューリーグ(当時の小学生の主流はワールドウィン、ビューリーグはその上位モデルで、発売当初はMのラベルが赤、その後は青になった)で、中学1年まで使っていました」

 中学2年になった時のことだ。斎藤の父・寿孝さんがオーダーのグラブをつくってもらおうと言ってくれた。

「あれはうれしかったですね。赤のグラブが欲しかったんですけど、高校野球では赤のグラブは禁止されていて使えなかったので、赤に近いスプレンディッド・オレンジという色を選びました。ウェブを選んで、大きさを決めて......すごく楽しかった思い出があります。フィールディングが得意だったので操作性を重視して軽くしたかったと同時に、投げるほうでは重さが欲しくて、そのバランスが難しかった。そのグラブは高校3年の春のセンバツまで使っていました」

 車を走らせることおよそ2時間。中国自動車道を経て、山陽と山陰を結ぶ国道29号線から播州へ入る。手延べ素麺『揖保乃糸』の生産地としても知られる揖保川の流域に沿って北上すると、西播磨の山々が迫ってきた。歴史上、このエリアは京都、大阪への玄関口として多くの武将が拠点となる山城を建てて、覇権を争ってきたのだという。そんな兵庫県の山間にある宍粟市に、ミズノのグラブ工場はある。斎藤は言った。

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