村上宗隆が5打席連続本塁打の日本記録。取材ノートから紐解く「村神様」の覚悟に指揮官は「只者じゃなかった」 (2ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Sankei Visual

 開幕は二軍スタートだったが、高津臣吾二軍監督(当時)は村上が出場した98試合すべて4番で起用。村上は打率.288、17本塁打、70打点という見事な成績で期待に応えてみせた。

 そして9月16日の広島戦で初めて一軍昇格。6番・サードで先発出場を果たすと、2回裏にプロ初打席初本塁打の鮮烈デビューを飾った。シーズンが終わるとフェニックスリーグ(宮崎)に参加。10本塁打を放ち、2009年に中田翔(当時・日本ハム/現・巨人)がマークした6本塁打を抜くリーグ記録となった。

「1年目とかは関係ない」

 このフェニックスリーグで強く印象に残っているのは、1年目を終えたばかりなのに練習や試合で先頭に立って大きな声を出している姿だった。森岡良介二軍内野守備走塁コーチ(当時)は、この時にこんな言葉を残している。

「声を出すことは大事なことで、チームの雰囲気はよくなります。強いチームというのは中心選手が声を出していますし、僕としてもそうなってほしいですし、村上もそこを意識していると思います。野球への取り組み方もすばらしくて、『絶対に活躍してやるんだ』という気持ちが伝わってきます。近い将来、安心して見ていられる選手になると感じていますし、楽しみですよね」

 この年、村上はフェニックスリーグを終えると、すぐに"地獄の猛練習"と若手たちから恐れられていた愛媛・松山秋季キャンプにも参加。朝から晩まで野球漬けの日々を送る村上に話を聞くことができた。

── 2月には木製バットへの対応が課題と言っていました。

「高校時代とはピッチャーも違いますし、バットどうこうではなく、相手ピッチャーに必死に食らいついたなかで結果が出せてよかったと思います」

── 小川淳司監督(当時)は、村上選手の一軍昇格時期について「消化試合での起用はしたくなかった」と話されていました。

「順位争いをしているいい緊張感のなかで試合に出させてもらい、いい経験になりました。期待されていると思うので、あのような場面で活躍できるような選手にならないといけないと、強く思いました」

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