斎藤佑樹が振り返る高校最後の夏、日大鶴ヶ丘と日大三との死闘。今でも忘れない決勝前日の父とのキャッチボール (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 でも、正直に言えば僕のなかには少し違う感情がありました。三高には前の年の秋に勝って、もう決着をつけたという気持ちがあったんです。秋の三高戦は東京都大会の決勝でしたから、勝てばセンバツ出場がほぼ確実になります。あれが僕にとっては初めて決めた甲子園出場で、そのために夏に負けた三高を倒すことが大きな目標でした。

 だから「三高を倒して」「初めての甲子園に出る」という2つの目標を同時に叶えて、秋は本当にうれしかった。2年の夏にコールド負けというとてつもなく大きなショックを与えられて、僕は三高戦のためだけに成長しようとしてきたんです。その気持ちは人一倍強かったと思いますし、だからこそ、秋の勝利は僕にとっては大きなものでした。

 その後、センバツでベスト8まで勝ち進みましたから、3年の夏は全国制覇をすることが目標でした。西東京を勝ち抜いて甲子園に出ることはそのための通過点に過ぎなかったんです。

 そのせいか、秋のような気負いはありませんでした。もちろん三高は強かったし、"夏の三高"と言われているほどですから、どれだけ力を蓄えてきたんだろうという不気味さはありました。

 それでも、僕が見ているところは春に負けた横浜高校であり、秋の明治神宮大会で負けた駒大苫小牧でした。甲子園で優勝争いをするチームを見ているんであって、「おまえらじゃないんだぞ」と意地でも思いたかったんでしょうね。

 2年の夏は100ある力のうち80は出せた、それでもあんなに打たれた......たぶん100を出せたとしても打たれていたと思います。だから僕の100自体を大きくしないといけないと思って工夫を重ねてきました。それが秋に大きくできて、センバツでもっと大きくなって、夏にはさらに大きくしたという自信がありました。だから試合前はすごく心が穏やかで、落ち着いている感じがありました。

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