元ヤクルトのスカウトが今も忘れない逸材5人。高校1年時に「ひと目見て度肝を抜かれた」投手がいた (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Sankei Visual

将来性を感じたふたりの高校生

岩村明憲(宇和島東高校→ヤクルト2位)

 平井正史投手(93年/オリックス1位)、橋本将選手(94年/ロッテ3位)、宮出隆自投手(95年/ヤクルト2位)、そして96年は岩村明憲選手がヤクルトに2位指名され、宇和島東高校(愛媛)から4年連続4人もの選手がプロ入りしました。

 高校時代、岩村選手はヒジとヒザを痛めていたのですが、巨人のほか、近畿大や社会人野球の強豪チームも狙っていました。じつは私自身、ヒジを手術してプロ入りした初めての投手なので、プロのトレーナーと計画を立ててケアしていけば心配ないと思っていました。

 岩村選手は高校時代に厳しい練習に耐え、その経験から得た強い精神力と自分自身の身体を熟知しているという点で、選手生命の長い選手になるだろうという予感はありました。

 高校時代の岩村選手は、捕手をやったり、ショートを守ったりしましたが、お世辞にも守備はうまいとは言えませんでした。しかし、甲子園出場経験もないのに高校日本代表の4番を任されるほど、バッティングはずば抜けていました。

 なにより記憶に残っているのが、ここぞという場面で打つ"勝負強さ"です。私が視察に行ったすべての試合で本塁打を打ちました。とにかく絶対に必要な選手だと思っていましたし、他球団が4位の評価だったのを私はAランク(2位評価)に繰り上げて獲得しました。

 ヤクルト入団後は自慢のバッティングはもちろん、名手としてならした大橋譲コーチ(当時)がマンツーマンで岩村選手の守備を特訓したことが奏功しました。三塁手としてゴールデングラブ賞6度の選手にまで成長してくれました。

岩隈久志(堀越高校→近鉄5位)

 身体能力の高さに驚愕したというより、印象深い選手として岩隈久志投手を挙げたいと思います。プロ入り後は身長191センチ、95キロと堂々の体躯を誇っていましたが、堀越高校時代の岩隈投手は、とにかく線の細い選手でした。

 筋力はまったくで、ストレートの球速も120キロ台。それでもヒジの使い方が抜群で、「いい投手になるかも」という予感はありました。ただ、このままプロに入ったら、周りの投手との競争に焦って投球フォームを崩すリスクはある。私としては、大学を経てからプロ入りしたほうがいいと判断しました。

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