斎藤佑樹「こんな打線、誰なら抑えられるの」。3年春の甲子園、横浜高校戦の大敗から得たもの (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 僕らが勝って、整列して校歌を歌っていたら、なんと雪が降ってきたんです。あれは3月の末(3月30日)ですよね。季節はもう春、雪なんか降るはずもないなのに、かなり強い横風とともに雪が降ってきた。

 僕らの間では、二転三転、本当にいろんなことがあった2試合を勝ちきれて、甲子園の神様が「おめでとう、よくやった」と、まるで花吹雪のような季節外れの雪を降らせてくれたんだな、と話していました。関西とのあの2試合を連投できたことは、僕にとってものすごく自信になりましたね。2試合で333球、本当に最初から最後まで全力で投げていたんです。それはセンバツ出場を懸けた2年秋の東京都大会もそうだったんですけど、とにかく全力で投げて、連投できた。それは3年夏の連投につながっていったと思います。

横浜との敗戦で得たヒント

 ただ、3連投はキツかった......準々決勝は横浜との対戦となりました。すごく疲れていて、それでも全力で投げて、メッタ打ちされました。1回に2失点、3回に4失点して、4回からは関本(雷二)にマウンドを譲ります。5回途中からは塚田に交代しましたが、結局、横浜に13点を取られて大敗(3−13)。センバツはベスト8で終わりました(横浜が優勝)。

 あの試合、僕は何を投げても打たれてしまいました。あの感じは2年夏の三高(日大三)との試合とはまた別の、不思議な感覚でした。三高の時は自分がレベルアップすれば戦えると思ったんです。でも、あの時の横浜は底が見えないというか、「こんな打線、いったい誰なら抑えられるの」と思ってしまいました。もし駒大苫小牧がこのチームと戦ったら、マー君(田中将大)はどんなピッチングをするんだろう、横浜はマー君を打てるのかな、と思ったことを覚えています(駒大苫小牧は出場が決まっていたこのセンバツ、野球部の卒業生が起こした不祥事を理由に出場を辞退している)。

 僕はあの試合、全力で投げましたが、センバツで投げてみて感じたのは、「全力で投げなくてもバッターは打ちとれる」ということでした。横浜に全力で投げて打たれて、でも、セーブして投げたら打たれないことがあった。もしかしたら、全力で投げるばっかりがいいわけじゃないのかもしれない、と思ったんです。セーブして投げながらも打たれないボールを投げるためにはどうしたらいいのか......力の抜き方を考えるきっかけになったのが、あの横浜に負けた試合でした。

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