イチローより上位で指名された元野手も。中日・根尾昂の転向で思い出す、野手→投手に挑んだ男たち

  • 白鳥純一●文 text by Shiratori Junichi
  • photo by Sankei Visual

 2人目は、オリックスの黄金期を支えた田口壮(ドラフト1位)やイチロー(同4位)らと同じ1991年に、ドラフト2位で指名された萩原淳。

2000年シーズン途中に投手に転向した1991年ドラフト2位の萩原2000年シーズン途中に投手に転向した1991年ドラフト2位の萩原この記事に関連する写真を見る 当初は、東海大甲府時代に高校通算25本塁打を放った打撃力に期待が寄せられていたが、プロ入りから9年間でわずか1安打と低迷。そんな中、萩原が練習で投げていた150キロを超える速球が仰木監督の目に留まったこともあり、2000年シーズンの途中に投手転向が告げられた。

 翌年はわずか1試合の登板に終わったものの、2002年は48試合に登板。シーズン終盤には抑えも任され、10セーブ、防御率2.64と安定した投球を見せた。

 その後も、5年連続で30試合以上に登板。2005年には近鉄との球団合併も経験したが、オリックスに残留した萩原は新球種のカーブを取り入れるなど投球の幅を広げ、リリーフの一角として活躍した。2007年にはトレードで日本ハムに移籍。自由契約を経て、2008年から3年間はヤクルトでプレーした。2010年に現役を退くまで、投手としての9年間で13勝15敗、20ホールド15セーブという成績を残した。

 3人目は、九州学院高校時代に投手と野手の"二刀流"で活躍し、福留孝介の外れドラフト1位で、1995年に入団した今村文昭だ。

 野手としては1軍でわずか2安打と、インパクトを残せなかったプロ5年目の2001年に投手に転向。同年は12試合に登板して初勝利をマーク。翌2002年も24試合に登板して2勝2セーブを挙げたが、2003年は11試合に登板して防御率11.00と結果を残せず。その年限りで戦力外通告を受けて引退した。

【快投を続ける根尾の今後に注目】

 日本よりも投手転向の事例が多いアメリカでも、日本球界に馴染みのある助っ人外国人選手が、投手転向を経験している。

 2009年に横浜に在籍して24本塁打を放ったダン・ジョンソンは、2010年にアメリカに帰国し、2016年に投手に転向。かつて野手として在籍したタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ。ナックルボールを武器に活躍を目指すも、わずか1カ月ほどで自由契約。その後、独立リーグでのプレーを経てドジャースとマイナー契約を結んだものの、メジャーでの登板は実現できなかった。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る