2022.06.23

西武からダイエーに来た根本陸夫は、ワクワクするスカウトの前で「ETC」の話を始めた

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第32回
証言者・小川一夫(2)

 根本陸夫という人が戦力補強の中心にいる西武を、ライバル球団として見る──。1989年の初頭、ひとりの野球人がそう決意し、新たな仕事に取り組もうとしていた。同年からダイエー(現・ソフトバンク)のスカウトに就任した小川一夫である。

 小川は前身球団・南海の捕手だったが、6年間の現役生活で一軍出場は1試合。それでも、78年限りで引退したあとも球団に残ってコーチ、裏方、フロント業務をこなし、あらゆる立場でチームづくりに関わってきた。10年が経過した1988年オフ、球団が身売りされ、本拠地が大阪から福岡に移るのを機に、前任の九州担当スカウトから後継者に任命された。

 戦力補強の一端を担う仕事に就いて初めて、小川は西武を意識した。常勝巨人をしのぐ補強で王国を築いていく過程、そのなかに「根本さんのやり方」を見ていた。そうして、あらためて、スカウトとして日本一を目標に定めた。18歳でプロ入りして35歳になろうとしていた。

 ところが、それから3年後、92年オフのことだ。西武の根本がダイエーに来ることになる。いったい、どんな心境だったのか。のちにダイエーのスカウト部長、編成部長を務め、ソフトバンクでは二軍監督、編成・育成部長を歴任し、現在はGM補佐兼企画調査部アドバイザーの小川に聞く。

92年オフに西武からダイエーに来た根本陸夫(写真左)は、94年オフに王貞治を監督として招聘した92年オフに西武からダイエーに来た根本陸夫(写真左)は、94年オフに王貞治を監督として招聘した この記事に関連する写真を見る

なぜ西武からダイエーに来たのか

「当時、ダイエーの球団社長が鵜木洋二(うのき・ようじ)さん。根本さんと同じ法政大出身ということもあったんでしょう。社長室で根本さんに電話して、相談しているのを何度か見たことがあります。というのも、僕は九州担当スカウトで、球団は福岡にある。地元にいるということで、ときどき会社に呼ばれて社長室に通されていたんです」

 鵜木は法政大柔道部出身のスポーツマンで、1964年の東京五輪では柔道代表候補選手。スーパーのダイエーが拡大を続けた時には実働部隊の元締めだったが、神戸本店室長だった88年、南海球団買収と福岡移転に関わった。ダイエー中内㓛オーナーの懐刀として初代球団社長に就き、福岡ドーム(現・福岡PayPayドーム)建設にも尽力した。