斎藤佑樹は「自分にもこういう感情があったのか」と驚くほどの執念で甲子園出場を決めた (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 結局はかなりの球数を投げましたが(142球)、それでも三高を完封して(2−0)勝つことができました。夏は100ある力が80出たのに、打たれてしまった。おそらく100が出たとしても打たれていたと思うんです。だったらまず、その100自体を大きくしないと勝てないと思って、秋には100を120にできたような気がします。目の前の三高をやっつけて、自分が取り組んできたことは合っていたと思いました。

 ただ、三高に勝ってもセンバツ出場が確定したわけではありません。あの頃、東京に2枠が割り当てられることはありましたが、決勝の戦い方次第でどうなるかはわからない。そういう意味では三高に勝った余韻に浸る間もなく、決勝を勝って甲子園出場を確実にしたいと、そっちのほうに気持ちがいっていました。

悲願の都大会制覇

 決勝の相手は東海大菅生です。試合開始から僕たちは相手の右ピッチャー、アンダーハンドの薦田(和也)投手を打ちあぐんだんですけど、僕が4回にレフト前へ2点タイムリーを打って先制します。

 その後、追いつかれて......あの試合、僕、途中で代わったんでしたっけ。ああ、そうだ、途中で握力がなくなって「ヤバい、手が痺れてきた」って感じになったんだ。で、ピッチャーは関本(雷二)に代わって、僕はライトへ入りました。そうしたらノーアウト満塁のピンチになって、不慣れなライトを守る僕の前に、何でもないフライが飛んできたんです。それを僕が捕れなくて、そのせいで8回表に1点を勝ち越されてしまいました。

 でも関本がそのあとをしのいでくれて、8回裏、小柳が同点タイムリー、代打の神田(雄二)が犠牲フライを打って、早実が4−3と逆転します。で、9回表、僕はもう一度、マウンドへ上がりました。

 ベンチ裏でマッサージをしてもらったら、けっこう痺れが回復して、和泉(実)監督に「投げられるか」と聞かれたので、「行けます」と......最後はインコースへ真っすぐを投げて、空振り三振。4−3で勝って、優勝です。いやぁ、あれはメチャクチャうれしかったですね。

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