鉄拳制裁、大乱闘劇、報復死球...セ・リーグ初のMVP捕手・中尾孝義が語る「戦慄のプロ野球80年代」 (2ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • photo by Sankei Visual

今では珍しい大乱闘劇も80年代は数多くあった今では珍しい大乱闘劇も80年代は数多くあったこの記事に関連する写真を見る── そして1987年から、星野さんが監督になられます。

「星野さんは、ご自身の現役時代は結構自由にやられていたので、門限とかもうるさくないのかなと思っていたのですが......徹底した管理野球でしたね(笑)。とにかく練習、練習で、就任1年目の時は年間で3日ぐらいしか休みがなかったんじゃないかな。移動日も普通にグラウンドに出てやっていたので、外で飲みに行くという体力も気力もなかった」

広島との遺恨

── 試合中も厳しかったですか。

「"闘将"ですからね、そりゃ怖かったですよ(笑)。近藤さん、山内さんの時は、ベンチでホッとひと息つけたのですが、星野さんが監督の時はそれが許されなかった。常にピリピリムードで、試合に集中していましたね」

── 精神的にもきつかった?

「シーズンが始まって、胃潰瘍になりましたからね。1カ月ぐらい点滴を打ちながらやっていました。山内さんから星野さんになって、最初は戸惑いがありましたけど、徐々にたくましくなっていくというか、負けられないって思えてくるんですよね」

── 星野さんといえば、かつては"鉄拳制裁"もあったと聞いたことがあります。

「ケツを蹴られたことはありましたが、鉄拳制裁をされたことはなかったですね。でも、やられた選手はいましたよ。ただ、当時はほかのチームでもあったと思います。星野さんはプレーに対して怒ることもありましたが、私生活でだらしない選手にはとくに厳しかった。そういう指揮官のもとでプレーしていたら、自ずと戦う集団になっていきますよね」

── 自ずとプレーも激しくなっていった?

「それはあったと思います。相手チームも中日には負けられないということで、ケンカ腰じゃないけど、ピリピリした雰囲気はありました」

── 今では珍しくなった乱闘も?

「ありましたよ(笑)。今でも忘れないのが広島戦です。相手投手は長冨(浩志)で、まず落合(博満)さんがぶつけられて、続く宇野(勝)がホームラン。そして次の仁村徹がまたしても死球を食らって......その瞬間、大乱闘です。当時の中日には、小松崎(善久)と岩本(好広)という乱闘要員がいて、小松崎が長冨に、岩本が高橋慶彦に向かっていったんです。ユニフォームが破れた選手もいて、何人も退場者が出たと思います。その乱闘には続きがあって......」

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る