大谷翔平は「疲労感」と「疲労」の違いを察知。登板回避に見るセンサーの優秀さ (2ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Taguchi Yukihito

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データは主観を磨くための道具

 一方、佐々木に対しては「投げなさすぎ」という声も少なからず囁かれた。その理由として考えられるのは、心身の成長には"適正"な負荷が必要になるからだろう。

 ただし、"適正"と"過度"の境界線は十人十色で、周囲が見定めるのは容易ではない。トレーナーの北川は選手の体を触りながら目分量で判断するというが、彼のような手法は限られた者にしかできないだろう。

 だからこそ、投手自身が感覚を磨くことが重要になると荻野は主張する。

「どれくらいが適切なのかは、本人にしかわかりません。だから自分が持っている"センサー"を小さい時から磨かないといけない。これをしっかりやっていくことが、適切な負荷をかけるための方法です」

 174センチ、72キロの荻野はプロの投手として決して身体的に恵まれたわけではない。それでも大学、社会人を経て最高峰の世界にたどり着き、プロ1年目からセットアッパーとして3年連続50試合以上に登板できた。その土台となったのが"センサー"だった。

「僕は小中と軟式で、自分と向き合う時間がすごく長かった。中学校は土日だけやるクラブチームで、土曜は3時間、日曜は朝から晩まで活動していました。チームの活動は週に10時間くらいだったけど、投げるのが好きで毎日壁当てをしていました」

 壁当ては自分と向き合う時間で、誰かに「こうやれ」と命じられるわけではない。荻野は元気なら距離をとって思いきり投げ、疲れてきたら近くから軽く投げた。負荷のコントロールを自分で行ないながら、高校生になるまで毎日何時間も繰り返した。

「そうして感覚が磨かれていったんだと思います。プロではケガばかりでしたが、アマチュアでは誰より体が強かったですからね。社会人ではダブルヘッダーの両方とも長いイニングを投げて、次の日もダブルヘッダーで投げることもあったけど、一切壊れませんでした。同じ世代で、僕より投げていたピッチャーはいなかったんじゃないかな。"のらりくらり"ではないですけど、力の入れ方をコントロールしながら投げていました」

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