巨人・中島宏之は通算2000本安打を達成できるか。偉業達成寸前で涙を呑んだ7人の好打者たち (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Kyodo News

真弓明信(太平洋、クラウンライター、阪神)/通算1888安打

 柳川高校(福岡)から電電九州を経て、1972年にドラフト3位で太平洋クラブライオンズ(77年からクラウンライターライオンズ、79年から西武ライオンズ)に入団。1978年には初の規定打席に到達し、117安打を記録。ベストナインにも選出された。

 同年オフに田淵幸一、古沢憲司との「世紀のトレード」で若菜嘉晴、竹之内雅史、竹田和史とともに阪神へ移籍。阪神では1979年から10年連続100安打以上を記録し、83年からは5年連続20本塁打以上をマークするなど、「長打の打てる1番打者」として活躍した。

 1983年は158安打、打率.353で首位打者を獲得。85年には打率.322、34本塁打、84打点の活躍で優勝に貢献した。だが89年以降は出番も減少し、92年からは代打の切り札となるも、思うように安打を積み重ねることができず、95年に現役を引退。通算安打数は1888本だった。

木俣達彦(中日)/通算1876安打

 1964年にプロ入りした木俣は、8年連続ベストナイン捕手の森昌彦(巨人)の牙城を崩し、69年から3年連続を含む5度ベストナインを受賞。69年にはセ・リーグの捕手として初めて30本を超える33本塁打をマークした。

 左足を高く上げ、バットを斧のように振り下ろす打ち方は「マサカリ打法」と呼ばれ、"打てる捕手"として確固たる地位を確立した。

 だが1981年にヒザの故障もあって64安打に終わると、翌年は同じチームの中尾孝義がセ・リーグの捕手として初のMVPを獲得するなど台頭。この年、木俣は48試合の出場で9安打しか放つことができず、潔く引退を決意した。

 木俣の通算1876安打は、野村克也(南海ほか)、阿部慎之助(巨人)、谷繁元信(横浜ほか)、古田敦也(ヤクルト)に続く、捕手として史上5位の安打数である。

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