巨人・中島宏之は通算2000本安打を達成できるか。偉業達成寸前で涙を呑んだ7人の好打者たち (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Kyodo News

 井端は2001年から9年連続シーズン100安打以上を達成し、うち4回は170安打以上を放つなどリーグ屈指の好打者として活躍。だが13年オフ、契約で球団と折り合いがつかずに中日を退団。この時点で、2000本安打まであと193本に迫っていた。

 その後、移籍した巨人では、内野のユーティリティープレーヤーとして持ち味を発揮。2014年に42安打、15年に63安打と順調に安打を積み重ねたが、オフに同じ年の高橋由伸が巨人の新監督に就任することになると、「由伸より長くやることはないと思っていた」と、2000本まで残り88本としながら、あっさりと現役引退を決意した。

松永浩美(阪急、オリックス、阪神、ダイエー)/通算1904安打

 スイッチヒッターの先駆けは柴田勲(巨人)。その後、70年代から80年代にかけて高橋慶彦、山崎隆造、正田耕三(いずれも広島)、松本匡史(巨人)といったスイッチヒッターが活躍した。

 なかでも松永浩美(阪急など)は、"1試合左右両打席本塁打"を日本人最多の6度記録し、「史上最高のスイッチヒッター」と称されている。

 福岡・小倉工業高を中退した松永は、1978年に練習生として阪急に入団。翌年、支配下選手として登録されると同時に、コーチの勧めにより左打ちの練習を始めるようになる。81年に初めて一軍の試合に出場すると、翌年からレギュラーとして活躍。

 1983年から10年連続100安打以上を放ち、うち3割以上は6回と、リーグ屈指のヒットメーカーとして相手チームに恐れられた。

 1993年に野田浩司とのトレードで阪神に移籍。中日との開幕戦で5打数5安打、8月のヤクルト戦では伊東昭光、石井一久、荒木大輔から3試合連続先頭打者アーチの快挙を達成。しかし、この年はケガもあって80試合の出場にとどまり、安打数は89に終わった。

 するとこのオフ、導入されたばかりのFA権を行使してダイエーへ。移籍1年目の1994年に150安打を放つも、以降3年間は76安打、45安打、3安打と急激に低下し、2000本安打まであと96本としながら自ら自由契約を申し入れた。

 その後、MLBでの現役続行を目標にオークランド・アスレチックスの入団テストに参加するも、成績が振るわず現役引退を決めた。

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