「なぜこの体でこんなボールを...」。ノーヒット・ノーランであらためて思い出した東浜巨、17歳のピッチング (3ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • photo by Kyodo News

大半の時間は、「野球もの知り」の西銘が話の主導権を握っていたが、その合間合間で、東浜の繰り出す補足説明が、絶妙な「合いの手」となって、最後まで話が弾んだものだった。

西武戦での圧巻の97球

 西武戦での97球のノーヒット・ノーラン。

アベレージ140キロ前半の速球と、ほぼほぼ3分の1ずつ投げていたカットボールとシンカーは、高校時代には投げていなかったボールだ。

もっと滑りの大きなスライダーに落差の大きなカーブ、それに、時々フォークボール。当時は、そんな「お品書き」で投げていた。

スローの映像で見ると、「シンカー」はスプリットのようにボールの上半分で挟んでいるように見えたが、左打者の外に滑り落ちる軌道は見事なものだった。

捕手のサインに首を振る時の目の「怖さ」は、沖縄のスコールのブルペンで向き合った時と同じだった。

 97球といっても、今まで対戦した記憶をたぐり寄せ、打者を観察しながら、考えて、考え抜いて、丁寧にコースを狙い、1球1球、渾身の腕の振りから投げ込んだボールである。

ピッチングに行き詰まりを感じている投手がいたら、これ以上のお手本はないだろう。そんな「仕事」に見えた。

 あの頃よりグッとコンパクトになったテイクバックから、腕の振りはむしろ豪快になったように見えた。それでも、精密なコントロールは最後まで揺らぐことはない。

 投げる形は変わったが、捕手が構えたミットではなく、打者に向かって投げ込んでいく"魂"は、プロを目指していた頃とそのままだ。

 投手の仕事は捕手のミットに投げることじゃない。打者に向かって、渾身の腕の振りを発揮し、手玉にとることだ。

「ピッチャーって、こういうことだよな......」

 スピードばかりが注目されるなかで、そんな思いをあらためて認識されてくれる職人・東浜巨の快投だった。

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