ドラ1左腕・川口知哉はなぜプロで通用しなかったのか。1年目のフォーム変更が影響「完全にイップスでした」

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual,Tanigami Shiro

── 1年目のオープン戦で、前年日本一のヤクルト相手に先発し、2回無失点。古田敦也さんから空振り三振を奪い、野村克也監督(当時)も称賛のコメントを口にしていました。あの試合では、高校時代のように左ひざを深く折って投げていました。そういう投げ分けをしていては、なかなかいい状態が続かない?

「ひざを折る、折らないというのも、いま知識が増えたなかでは深く折ってもいい投げ方というのがあると思います。簡単に言うと、軸足の力が抜けた状態で深く折ると腰が落ちて、前(打者方向)へ力が伝わりにくいというのはあると思います。僕の場合は、軸足にしっかり力を入れた状態で沈んで、そこから投げにいっていました。だから、強いボールを投げることができていたんです」

引退を決めた本当の理由

── 高校時代にあれだけ自信満々に投げていた投手が、投球練習からストライクが入らない。並の投手ならメンタルが破綻していたのでは、と思うこともしばしばありました。

「マウンドに上がるのが怖いというのはしょっちゅうありました。ブルペンでもストライクが入らないのに、試合で抑えられるわけがないと。たとえば、1年間ボールをまったく投げないとか、それくらいのことをして感覚を一度消したらどうなるのかと考えたことはありました。でも、実際にやるとなると難しいですからね」

── プロ7年間のなかで、最も光が見えたのが5年目。シーズン中に腕をスリークォーターよりやや下に下げたらストライクがとれるようになった。テイクバックの硬さも消え、初めてスムーズに腕が振れるようになった。

「ピッチングコーチの酒井(勉)さんがきっかけをくれたんです。短い距離のゴロノックを受けながら、軽く横から返球していたらスムーズに投げられて、それを見た酒井さんが『それがいい』と。そこからフォームをつくっていったら、普通に投げられるようになったんです」

── シーズン終盤には一軍で初先発。翌年は戦力になれる感じがありました。

「その6年目はオープン戦でもリリーフで結構投げて、たしか1点とられた以外は抑えたんです。でも、最終的に開幕一軍には残れず。だんだん調子が落ちていったのもありましたね。それからもう1年やって、終わりました」

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