元オリックス川口知哉が明かす高校時代のビッグマウス発言の真相。「思っていることを正直に口にしただけ......」 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual,Tanigami Shiro

── 高校時代を振り返ると、練習のしんどさや原田監督の厳しさは和らいだと感じていますか。

「監督については、厳しく言うところは変わらないですし、一瞬でピリッとなる空気は当時を思い出します。練習については、僕らみたいやったら、今の子は次の日から来なくなるんじゃないですか(笑)」

── それほど厳しかった?

「当時は亀岡市の山の中にグラウンドがあって、夕方の4時半頃から夜9時近くまで練習して、そこからバスで学校へ戻って、室内で1時間くらい自主練。そのあと、僕の場合は夜11時半の電車に乗って、家に着くのが12時15分。この繰り返しでした」

── 今はどうですか?

「グラウンドも京都市内にありますし、練習も7時半くらいに終わって、今は寮もあるので寮生は帰って食事。"食育"にも力を入れているのでしっかり食べて、あとは練習中に撮影した動画を見たりしていますね」

── 当時は時間だけでなく、中身も相当濃かったと思います。

「とにかく走ってましたね。1キロ近くあるグラウンドの外周を20周が基本。このあと、日によってはポール間のタイム切りや坂道ダッシュ100本とか......もちろん腹筋、背筋も。一番キツかったのはタイム切りですけど、ひたすら走っていた記憶しかないですね」

負けるはずがないと思っていた

── 今は「投げ込み、走り込みは本当に必要なのか?」という声もあります。

「それぞれ考え方があると思いますが、試合で抑えるなら、僕は同じやり方でやります。投げません、走りません、打てれました......では話にならない。もちろん、むやみやたらに投げ込むんじゃなく、目的を持つことが大事。肩の体力をつけるためには投げないといけないし、新しい球種の精度を上げるためにも投げるしかない。スタミナがないなら走り込みも必要になってきます」

── それだけ走り込んだ一番の効果はどこに感じましたか。

「制球力と自信ですね。試合終盤になっても下半身はへばらなかったし、同じフォームで投げられたから制球力も落ちなかった。ピッチングで大事なのは再現性です。疲れてくると、足腰が弱ってフォームが乱れて、ほかでカバーしようするからヒジや肩に負担がかかる。僕は夏の甲子園で820球を投げましたけど、下半身がへばってフォームを崩すことはありませんでした」

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