大学時代は公式戦登板ゼロ→社会人経由でヤクルト3位入団。柴田大地が歩んだプロまでの道程 (3ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Kyodo News

 一方でポテンシャルが高く、野球を長くできそうな選手もいますよね。そうやって選手が一番伸びる時期を想像してあげないと、なかなか指導できないと思います。それが柴田の場合、『大学ではない』と2年生くらいで判断しました。一番伸びるのは、プロのステージで投げている時だと。そのためには途中で社会人に行かなければいけない」

故障中の選手こそ成長を見つける

 柴田は高校時代から腰に不安を抱え、日体大に入学して早々に右ヒジをケガした。それほど量を投げてきたわけではないが、可動域が大きすぎて、ヒジが曲がりすぎるために過度な負荷がかかるのだ。プロになった現在は181センチ、92キロと恵まれた体格を誇るが、大学時代は「肩が強いのに、細身でくねくねだった」と辻は回顧する。

 柴田の"選ばれし者"にしかない才能を辻は見抜き、時間をかけて前に進んだ。故障で投げられないなか、投球フォームでヒジが下がりすぎるクセをシャドーピッチングやトレーニングで修正していく。ビデオで撮り、しっかり確認しながら地道に一歩ずつ前へ向かった。

「こういう使い方が前よりよくなったとか、映像で見せながらやっていました。投げていないので、そうやって評価してあげないとモチベーションが下がるんですよね。選手はケガすると孤独になるし、自分は成長していないのでは......と思ってしまう。だから、こっちが成長を見つけてあげないといけない」

 柴田は右ヒジを故障する前、最速143キロだった。入学早々のケガが治らずにボールを数年間投げられなかったが、黙々とトレーニングを続けた。ピッチングこそできなかったものの、投手として成長している感触は確実にあった。

「いま投げたら、147キロは絶対に出るな」

 辻が言うと、柴田も同意した。

「ケガをする前の球速が143キロなので、下がっている可能性もあるんですよ。ただ、ふたりとも確信があったんですよね。トレーニングで体つきもよくなっているし、投げ方も前より絶対いい。何もかもついてきているぞって。それで故障明けに投げてみたら、最初に149キロが出たんですよ。143キロから急に上がっている。

 でも、実際は"急"じゃないんですよね。取り組んできたものがあって、成長してきたものがあった。彼もそう感じてくれていたはずです。それは指導者にとって結構大事なところだと思うんですよね」

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