なぜ日体大は次々とプロへ投手を送り込めるのか。元プロの投手コーチが語る「計画登板」の重要性 (2ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Kyodo News

 辻が指導者のキャリアを始めた2015年春、4年生には現DeNAの大貫晋一がいた。社会人野球の新日鐵住金鹿島を経てプロ4年目になるこの右腕は、当時、2013年11月に受けたトミー・ジョン手術のリハビリに苦しんでいた。

「手術から1年以上経ってもまったく投げられていなかったんです。まずは情報を聞き取らないとあかんなと思って、同級生、学生コーチに聞きました。すると、『今日は(施設に)リハビリに行きます』と言って、『練習に来ない』とみんなが口を揃えるんですね。本人は真面目な性格だけど、あきらめている感じがあって。たぶん、自分が治ってから投げている姿を想像できていなかったと思います」

DeNA大貫晋一の復活ロード

 日体大は三軍制という大所帯で、当時はちょうどコーチが入れ替わるタイミングだった。指導者は監督のみという状況で、2015年2月、辻は臨時コーチとして一足早く現場に立った。

 午前中の一軍練習が終わったあと、昼食をとりながら三軍練習を見ていると、10メートルほどのキャッチボールで質の高い球を投げる投手がいた。それが大貫だった。2年春のリーグ戦で3勝を挙げて名前は伝わってきたが、その後、右ヒジにメスを入れたことは知らなかった。

 当時の日体大では故障した選手は三軍に行き、投げられるようになるまで自分でリハビリに取り組むという決まりがあった。大貫はそこで練習していたが、辻は「彼には上で野球できる素質があるので、すぐに一軍に上げましょう」と監督に提案する。

「自分と重ねたんですよね。環境によって、やる気がなくなっているんじゃないかなって。今、リハビリや体力的なトレーニングに取り組んでおかないと、投げられるようになっても絶対また故障すると思ったんです。また、ケガをしている時こそ、練習することの大切さを覚えるんだと。

 監督からも、『大貫はいいものを持っているが、自分に対して弱い部分がある』と聞いていました。その課題があるのに三軍で放ったらかしにしておくより、指導者がともにやっていくべきだと思って、次の日から一軍で一緒に取り組み始めました」

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