鍬原拓也が「クビも覚悟した」育成契約。菅野智之の「点ではなく線で」の助言に新発見があった (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Sankei Visual

 暗中模索の日々だった。2年目の秋季キャンプでは、原辰徳監督の勧めでサイドスローに挑戦。オフの自主トレ期間に「自分のしっくりくる位置を模索した」結果、腕を振る位置を少し高くした。

 だが、夏場にスライダーを投げた際、右ヒジ頭を骨折。ヒジへの負担を考え、再び上から投げるフォームに変更した。現在は大学時代よりは低い、スリークオーターに近い位置から腕を振っている。

 ヒジを手術したこともあり、2021年は育成選手として契約を結ぶことになった。背番号は入団時の「29」から3年目には「46」に変わり、さらに育成選手になったことで3ケタの「029」になった。

クビも覚悟していた

 苦しい時期、鍬原を支えたのは強靭な負けん気だった。

「本当に負けず嫌いなので、『こんなところで終わってられない』という気持ちは常に持っていました。それと『ジャイアンツのドラフト1位』というプライドも、自分がやってこられた要因だったと思います」

 2021年のシーズン中、筆者は鍬原がイースタン・リーグで登板した試合をたまたま目にしている。球速、キレともにすばらしく、「なぜ育成選手なのか?」と疑問を抱かずにはいられない能力だった。事実、8月30日には支配下登録に復帰している。

 だが、支配下登録後も鍬原の一軍登板はなかった。イースタン・リーグでの成績は、20試合の登板で4勝4敗、防御率5.29という不安定な内容。なぜ、好不調の波があったのか問うと、鍬原はこう答えた。

「復帰してから痛みはなかったんですけど、ずっとヒジの違和感があったんです。リハビリ中に肩を痛めたこともあって、体の不安が残ったままでした」

 シーズン終了後、鍬原は再び育成選手契約に切り替わることを通告される。

「一度も一軍に上げてもらえなかったので、正直に言って僕のなかではクビも覚悟していました」

 2度目の育成契約に、プライドはズタズタだった。鍬原は「正直、あの時期はしんどかったです」と振り返る。

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