もし人生戻れるなら...斎藤佑樹「プロ2年目、肩を壊した時」。金城長靖「プロ志望届を出すか出さないか...」

  • 市川光治●文 text by Ichikawa Mitsuharu
  • photo by Saito Yuki

斎藤 たしかにそうだよね。そうか、同じような気持ちなのかな。僕も最初は不安だったし、同じ関東でも群馬から東京へ行くのはちょっと怖いというのはあったね。ただ早実へ行かないと成長できないと思ってたし、むしろ行かなくちゃいけないと思ってたかな。

金城 僕らは中学の仲間みんなで「一緒のところに行こうよ」って話して、そのまま石垣島の高校へ行ったんだよね。沖縄本島の高校に行ったのはひとりだけだったな。

今も忘れられない衝撃映像

斎藤 そうなんだ。(伊志嶺吉盛)監督も一緒でしょう?

金城 小中高ずっと一緒で、「さすがに高校では一緒にやりたくないよな」みたいな話もあったんだけど(笑)。

斎藤 もうお腹いっぱい、みたいな(笑)。

金城 伊志嶺監督は、(石垣第二)中学校の先生で、僕らが中3の時、中学から高校に異動になったんだ。それが八重山商工で僕らが進路を考えるにあたって、みんな「じゃあ、別の高校へ行くか」みたいな話も(笑)。でも石垣島だから3択なんでね。(八重山)農林と、八重高(八重山高校)と、(八重山)商工。

斎藤 たしか『熱闘甲子園』で見たのかな。伊志嶺監督がすごく怒ってるんだけど、それをみんなスルーするところ(笑)。ああいうのはもう当たり前だったの?

金城 当たり前。普通。ほかの人から見たら「え、大丈夫?」みたいなのはあったかもしれないけど。

斎藤 衝撃映像だったよ(笑)。

金城 僕たちのなかでは、小学校からずっと一緒で、いつも同じことを言われてるし、本当に親父みたいな感じなんで。

斎藤 それは子どもが成長するにつれて親の言葉をスルーするみたいな状態になってたの?

金城 う〜ん。でも、普通に友だちみたいにしゃべる時もあるんだよね。僕からもちょっかいかけたり、監督もしてきたり。信頼関係はできてたとは思う。言われたことに対して、「わかってるよ」みたいな。

斎藤 なるほどね。でも、甲子園に行った時は、あそこまで勝ち上がった(夏ベスト16)わけじゃない。やっぱりうれしかったでしょう? 監督と一緒に長い間やってきて。

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