斎藤佑樹、早実入学直後の思い。プロ注目の先輩ふたりを「軽く超えなくてはいけない」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

 ただ僕にとっての高校生活は、野球の苦しさよりも前に、通うことがメチャクチャしんどいという、思わぬ壁が立ち塞がりました。最初の2カ月は群馬から早実まで通っていたんですが、これが予想以上に大変だったんです。

 早実へ行くことについては楽しみでしたけど、一方で不安もメチャクチャありました。東京の人ってどんな感じなんだろうって......父も母も群馬で生まれ育っていますし、兄も僕もずっと群馬でしたから、そもそも東京に馴染みがなかったし、土地勘もまったくありませんでした。

 朝の5時過ぎに起きて、午前5時半には母に東武伊勢崎線の太田駅まで車で送ってもらいました。太田駅から始発の特急に乗って東武動物公園駅まで行きます。そこで各停に乗り換えて新越谷駅で下りて、JRの南越谷駅から武蔵野線で西国分寺駅まで行って中央線で早実のある国分寺駅まで、2時間以上かかりました。

 電車に乗っている間はずっと歴史の教科書を見ていましたね。早実は勉強もすごく大変でしたから、通学の時間は寝てるか、勉強にあてているかのどちらかです。あの頃の野球部の1年生は通学の電車には座っちゃダメ、立ってる時の片足体重もダメ、という謎の決まりがあって、でも僕は始発の電車には座ってました。最後の武蔵野線や中央線はメチャ混みで座れませんでしたけど......。

 僕が入学した時には八王子の南大沢にある王貞治記念グラウンドがまだ完成していなかったので、学校の校庭で練習をしていました。練習が終わるのは午後6時半だったかな。家に帰ると夜の11時近かったと思います。

 でも、兄が通っていた桐生高校は練習が厳しくて、帰宅時間は僕と同じくらいでした。今となっては、兄がいた頃の桐生高校はいったいどんな厳しい練習をしていたんだろうと思いますけど(苦笑)、でも中学生ながらに高校野球というのはそういうものだと思っていました。

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