クビ寸前のピッチャーが完全試合。昭和プロ野球で起きた86球のミラクル (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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「ヤツら、2回も『完全試合だぞ』って言ったんだよ。で、3回も言った。6回までずーっと言ってたんだ、ベンチに帰るたんびに。それで7回になったら言わねえから、『おまえら、なんだ? 緊張してんの? おまえら緊張してエラーなんかするんじゃないぞ』ってオレが逆に言って。でも、そのときだってやれると思ってない。冗談だもん」

 東映打線は4回に一挙4点を取って援護していた。反対に西鉄打線は、シートノックのような打球ばかりだった。「高橋善正といえばシュート」というイメージで臨んだところ、本人はシュートのキレが悪いために投球割合を減らし、スライダー、カーブを多投したため、裏をかかれた可能性があった。なおかつ、前年の"黒い霧事件"の影響でメンバーが若手中心になっていたこともあった。

 そうして9回を迎え、先頭打者、新人・米山哲夫の当たりは低いライナーで二塁ベース寄りに飛ぶも、大下が横っ飛びでキャッチ。ファインプレーに助けられた。続く村上公康が打った三塁方向へのゴロはボテボテで内野安打かと思われたが、三塁手の中原勝利が巧みに処理して間一髪アウト。あと一人になって、「シュート打ちの名人」と呼ばれる和田博実が代打で出てきた。捕手・種茂(たねも)雅之のサインは「外のスライダー」だったが、高橋さんはこの試合で初めて首を振った。

「このときだけは完全試合を意識した。ここまできたらやらなきゃソンと思っただけの話でね。で、オレはシュートのキレが悪くて、相手バッターはシュート打つのがうまい和田さん。それで種茂さんはスライダーのサインを出したわけだけど、オレはシュートピッチャーなんだから。

 高校、大学、プロとシュート一本できて、特にプロで生きてきた証(あかし)なんだから、シュートほうらないと悔いが残る、と思ったんだよ。それで打たれてもいいや、と思ったし、スライダー投げて打たれちゃったら一生、悔いが残る。シュート打たれて完全試合できなくても、あのときスライダー投げてたらよかった、とは絶対に思わないから」

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