原辰徳はジャイアンツきっての「再生屋」。初の監督就任から20年、冴え渡るもうひとつの手腕 (3ページ目)

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by Kyodo News

居場所を失った選手にチャンス

 2008年かぎりで引退した小関は野球評論家を経て、2011年から2018年まで巨人の二軍コーチを担当。2020年からは古巣・西武でコーチを務めている。2011年から楽天でコーチ業をスタートさせた小坂も、2017年に巨人でコーチを担った。

 そして、2006年かぎりで引退した大西は、スカウトを経て2009年からコーチとして現場に復帰。2011年からは一軍コーチとして原監督の懐刀となった。そして今季からは、古巣・中日の三塁コーチとして立浪和義新監督を支えている。

 2006年オフに福岡ソフトバンクを戦力外となった大道典嘉も、原監督のもとで再生した選手だ。右打者不足だった巨人で「左キラー」「代打の切り札」として勝負強さを発揮した。

 2009年のポストシーズンではクライマックスシリーズで中日のチェン・ウェイン(現・阪神)、日本シリーズでは日本ハムの林昌範から勝負どころでタイムリーを放って存在感を示した。巨人に移籍したことで、極端にバットを短く持つ打撃フォームは全国区となって、多くの子どもがマネをした。

 ロッテ時代は薮田安彦、小林雅英とともに「YFK」を構成した藤田宗一も、原監督のもとでチャンスを手にした選手。2007年オフにロッテからのコーチ打診を断って現役続行を希望した藤田は、2008年から3シーズン巨人でプレー。2008年は39試合13ホールド、防御率3.10をマーク。開幕から間もない4月5日の阪神戦では、当時の日本記録となる527試合連続救援登板を記録した。

 2012年は、若手の台頭のあおりを受けて西武に居場所を失った石井義人が活躍した。スタメン出場は一度もなかったものの、代打の切り札として勝負強さを発揮。代打率.405、得点圏打率.444を記録し、同年のCSファイナルステージではサヨナラヒットを放ってMVPに輝いた。

 2013年オフには井端弘和、2014年には堂上剛裕、吉川大幾という中日を自由契約・戦力外となった3選手を獲得している。井端の中日時代の活躍は記すまでもないが、2013年10月に誕生した落合博満GMのもとで契約更改が暗礁に乗り上げ、最終的に自由契約での移籍となった。

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