張本勲が終生の友、江藤慎一を語る。「慎ちゃんも俺も白いメシを腹いっぱい食べたいと思ってプロを目指した」

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by 産経新聞社

 内野手の前田益穂とのトレードで大毎オリオンズからやってきた葛城隆雄と中京大学を1年で中退(ドラフト制度前であり、当時はプロが現役大学生に接触することに何の問題もなかった)して入団を決意した新人の木俣達彦をそれぞれユニフォームとミットの目線で読者に紹介し、その期待感を煽っている。大毎ミサイル打線の5番打者と1年生ながら首位打者を獲った愛知大学リーグMVP捕手の特徴を掴んだファンへのアピールは堂々とした広報の仕事である。

 木俣はこの新人時代に江藤の世話をするいわゆる付き人をするように球団から言われていた。九州ドラゴンズに対する揺れ戻しで何かと優遇された地元の新入団選手に対するいじめも頻繁にあったが、チームの顔となった大先輩は、付き人に対して決して尊大な態度をとらなかった。

 木俣の著書『ザ・捕手』(中日新聞社刊)ではこのように書かれている。

「当時は有望新人が入ってくると皆で潰しにかかったのだ。とりわけ一つしかない捕手の座がかかっているだけに余計に執拗であったのだろう。それだけではない。『地元の木俣を使え』こんな指令も出されていたことがさらに拍車をかけていく」

「ちょうどこの時入団した私は、江藤さんの世話をする付き人を命じられていた。付き人といっても用具を運ぶ、頼まれたものを用意するなど、他の付き人と比べれば楽だった。このあたりにも江藤さんの人間性が感じられる。今ではほとんど聞かなくなった言葉だが、"九州男子"そのものの豪放磊落、男気あふれる方だった」

 木俣の年俸が180万円、江藤のそれが約1000万円、そこには新人と主砲の差が如実にあった(ちなみにサラリーマンの当時の平均年収が46万円)が、付き人への理不尽ないじめはなかった。

 江藤はまたこんな記事も寄稿している。

―わが輩はバットである―
ボール君は愉快そうに飛んでいった。若手では島野(育夫)選手の鋭いスイングにびっくり。与那嶺コーチの満足そうな顔を、わが輩はチラリと横目でみてすぐボール君に向かっていった。しかし、一つだけさみしい気持ちになったのは、練習が終わるとポイとわが輩を投げ出し、柔らかい泥がついたままケージの中にうち置かれることだ。「なんだい、打つときだけ大事そうにして」と仲間同士で怒っているうちにマネージャーの菅野さんとスコアラーの江崎さんがベンチまで運んでくれた。わが輩たちはさっそく緊急会議を開き、そういった選手にはホームランをレフトフライにすることに決めた。

 後に中日や阪神でヘッドコーチを務めて星野仙一の懐刀と言われた島野がまだ2年目で、ここでも若い選手を紹介しようという配慮がうかがえる。一方、野球道具が粗末に扱われている現状を見て、ボールや裏方さんを大切にしなくてはいけないという訓示を説教くさくならないように書いている。記事は当然、同僚も読むであろうことから、これは記事を通じての呼びかけでもあった。

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