「今のままでは高校止まりで終わってしまう」。侍ジャパンU-15の有望選手が甲子園で突きつけられた現実 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

尊敬するのは森木大智

 その話を耳にして、右手がふいに疼(うず)いた。3年前、私は中学生だった上加世田と雑誌『中学野球太郎』の企画で対戦させてもらったことがある。その時、上加世田は左打者である私のインコースを執拗に突いてきた。かろうじてバットに当たった瞬間、右手に猛烈な痛みとしびれが走った。上加世田は当時から最速137キロの快速球を投げていたが、そのボールの強さを身をもって体感した。

 上加世田の恐ろしいところは、球威だけではない。対決前の私のスイング姿を見て、「インコースを引っかけ気味に打っているから、ここを攻めよう」と決めたという。並外れた洞察力も上加世田の魅力だった。

 上加世田は1学年上の森木大智(現・阪神)を尊敬している。中学2年の春には、学校の作文にこんな思いをしたためている。

<なぜ、森木さんを目指しているのかと言うとMAX146キロを投げて、打つのもできる全国ナンバーワンの選手だからです。森木さんはうまいで終わるのではなく、カバー、全力疾走、声かけ、すべてできる人だからです。一番の選手だからといってサボることもせず、何事も必死にやっているからです。僕の目標は森木さんを超える人になることです。>

 森木はその後、中学3年時に最速150キロをマーク。3年後には高卒ドラフト1位でプロに進んだ。憧れの存在に続いて自分もプロへ行きたい。そう期待に胸を膨らませて迎えた春、上加世田は現実を思い知らされた。

恩師の悪い予感が的中

「テレビ画面で頼希の表情を見た時、悪い予感がしました」

 そう語ったのは、門真ビックドリームス時代の恩師である橋口和博監督だ。橋口監督は、「頼希の表情を見れば、その日の出来がだいたいわかる」と語った。

「背負いすぎる時、『やらなアカン』の思いが強すぎる時は顔に出ます。甲子園はとくにそうでした。右手をヒラヒラさせてリリースポイントを確認する仕草もありましたけど、自分に自信がない証拠。バッターと勝負できていなかった」

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