奥川恭伸、宮城大弥に続くか。中学時代に全国大会決勝で完全試合を達成、日本ハム2年目左腕が掲げた公約とは? (2ページ目)

  • 市川光治(光スタジオ)●文 text by Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)
  • photo by Hosono Shinji

── プロ野球を意識したのも、日本一がきっかけですか?

「そうです。小学校の時から夢はプロ野球選手になることだったんですが、中学時代に本格的に目指そうとなって。それで全国でたくさんのピッチャーを見た時に、ピッチャーとしてなら結構通用できるなと感じたので、このまま行けばプロになれるかもしれないと思いました」

地元の高校に進んだワケ

── 高校は苫小牧中央高校に進学されましたが、なぜ甲子園に近い強豪の駒大苫小牧ではなかったんですか?

「駒大苫小牧は道外の選手が多くて、逆に苫小牧中央は本当に地元をはじめ、道内の人しかいなくて、そういう学校で野球をやりたいなと思って......僕自身はかなり前から苫小牧中央に行きたいと思っていました。中学の野球部の仲間みんなで行くというのではなく、(一緒に入部したのは)2、3人ぐらいでした。中学時代のチームメイトは、結構バラバラに分かれました」

── そういえば武田勝投手コーチとは、2017年の静岡で行なわれたU−15アジア選手権で一緒になったそうですね。その大会、根本選手は最優秀投手に選ばれて、日本もアジア王者になりました。

「あまりしゃべるタイプじゃないんですけど、中学時代は今よりもしゃべらなくて、武田コーチとも会話した記憶がほとんどなくて(笑)。昨シーズン、ファームで1年間やって、自分に足りないところを考えた時に、チェンジアップの精度を高めたいと思い、思いきって武田コーチに『教えてください!』って言いました。同じ左腕ですし、共通点も多いかなと思いまして」

── 武田コーチも『あいつから言ってくるのは珍しい』と言ってました(笑)。具体的にはどんなポイントを教えてもらったんですか?

「チェンジアップを投げる際、どうしても横から腕を振ってしまっていたので、『もっと前で、ストレートみたいにボールを放ってみろ』と。握りは自分の投げやすいようにしていますが、放るところを変えたことで、だいぶストライクゾーンに入るようになってきたので、いい段階かなと。オープン戦では、真っすぐで押せてますけど、疲れが出て真っすぐが走らなくなってきた時にどう組み立てられるかが課題なので、(武田コーチに)教えてもらってよかったなと思います」

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