館山昌平「俺はケガがなかったら...と言い訳する人をたくさん見てきた」。現代の投手育成法とケガの予防を考える (2ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Koike Yoshihiro

 もし、松坂はあれほどケガを重ねていなければ、どこまで突き抜けていたのだろうか──。

 記者としてそんな想像をするのは、近年、トレーニングやスポーツ科学、医療、テクノロジーが急速に進化しているからだ。スポーツに"たられば"は禁句とされるが、現在から過去を振り返ることで深く見えてくるものもある。

テクノロジーの進化

 現役引退から数年が経ち、館山にはふと思うことがあるという。

「もし現役当時にラプソードがあって回転効率を調べられたら、もっと簡単にケガから治ることができたのでは......と思うんです」

 38歳まで続けた野球人生で、館山は3度のトミー・ジョン手術(内側側副靱帯再建手術)を含めて通算10度メスを入れた。

 とりわけ悩まされたのが、2010年に発症した右指の血行障害と、併発した胸郭出口症候群だった。胸郭出口症候群は腕を上げる動作をした際に肩や腕、指などに痛みや痺れが生じ、数センチのコントロールを求められる投手にとって大敵と言える。

 館山はもともと握力60キロだったが、これらの影響により、右手をトップの位置に持っていくと15キロまで落ちた。そこでボールを強く握ると、リリース時にうまく抜けない。それでは強い球を投げられず、試行錯誤するなかで感覚を見失い、ボールを引っかけることが増えた。

 2011年に血行障害の手術を受けたが、完治したわけではない。それでも故障と戦い続けたのは、野球選手としての矜持だった。

「アマチュアの頃、『俺はケガがなかったら......』と言い訳する人をたくさん見てきました。でも、自分には『ケガを治して勝負しようよ』という思いがあって。せっかく好きで始めた野球を、ケガのせいにして辞めることは考えられなかったので」

 不撓不屈で故障と向き合い、2012年には12勝をマーク。3度目のトミー・ジョン手術から復帰した2015年には日本シリーズでも先発し、カムバック賞を受賞した。通算16年間で279試合に登板し、85勝68敗の成績を残している。

 そんな館山が「もし」を口にするのは、テクノロジーにはパフォーマンスアップにつながる可能性が感じられるからだ。

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