元ヤクルト通訳が選ぶ「記憶に残る助っ人ベスト5」。問題児、超愛妻家、日本記録保持者の名前がずらり (2ページ目)

  • 飯尾哲司●文 text by Iio Tetsuji
  • photo by Sankei Visual

試合中に一目散で帰宅

ロベルト・ペタジーニ(1999〜2002年)
539試合/595安打/打率.321/160本塁打/429打点

「私が担当した打者のなかで、"ここぞ"という場面で必ず打ってくれたのがペタジーニです。とにかく勝負強いバッターでした。ヒーローインタビューを受ける機会が多く、そのたびに私が駆り出され、多くのマスコミに囲まれて緊張した覚えがあります。

 ペタジーニは在籍した4年間で本塁打王2回、打点王も1回獲得。若松勉監督時代の2001年にMVPを獲得し、日本一の原動力になった。

 ペタジーニの猛打に、各チームは容赦なくインコースを攻めてきた。メジャーでは「目には目を」の慣習があるが、ヤクルトは当てられても報復しない伝統がある。2002年の甲子園での阪神戦で、「なぜ自分の仇を討ってくれないだ!」と激高。

 攻守交代時、ペタジーニは守っていた一塁からダグアウトを通り抜け、ロッカーに直行。速攻で荷物をまとめてタクシーに乗り、そのまま宿舎に帰ってしまった。

「一瞬、みんな何が起こったのかわからず、呆然としていました。周囲に有無を言わせぬ行動は、本当に衝撃的でした」

 そしてペタジーニと言えば、25歳上のオルガ夫人の存在だ。ヤクルトは「移動はチーム全員で一緒に」が原則だったが、ペタジーニは愛妻であるオルガ夫人と行動をともにしたいと。その都度、若松監督に許可を取るのも、航空チケットや宿泊のホテルを手配するのも近藤通訳の役目になってしまった。

「ペタにとっては1に神、2にオルガ夫人、3に野球の位置づけでしたね」

 2、3年前に「離婚した」との噂が流れ、あるテレビ局がフロリダにある自宅を直撃したしたことがあったが、「相変わらずラブラブで出迎えたそうです」(近藤通訳)。

ファンサービス旺盛の人格者

アレックス・ラミレス(2001〜07年)
982試合/1184安打/打率.301/211本塁打/752打点

「打てなかったりすると道具にあたる外国人選手は多いのですが、ラミレスに限ってはそうしたことが一切なかった。アンガーマネジメント、心のコントロールにすぐれた選手でした」

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