プロ野球でクビから1年半で医学部合格。元DeNA寺田光輝の馬鹿にされてもめげない生き方 (2ページ目)

  • 門脇 正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • 山本 雷太●写真 photo by Yamamoto Raita

【持っているものを「使いきった」】

 2018年、横浜DeNAベイスターズでのNPB生活をスタートさせた寺田だったが、そこで経験した野球は、これまで大学やBCリーグでの野球とはまったくレベルが違うものだったという。

「無理だ無理だ、ここでは本当に無理だと思いました。入団するまでは、いけるんじゃないかっていう、希望みたいなのはあったんです。でも、もうさすがに、『あー』っていう感じでした。もうたぶん長くはないなって、入ってすぐわかりました。

 けど、独立リーグの時からそうだったんですが、お金をいただいて野球をしている以上、自分の責任とか姿勢っていうのは絶対崩したらいけないと思ってたんで、もう自分ができる精一杯を尽くそうというふうには思いました。ただ、正直厳しいなっていうのは、ずっと思っていましたね。

 最後の最後でクビになる数カ月前、アンダースローに変えた時に、ピッチングがわかってきたというか、抑え方が見えてきた気がして、もしかしたらいけるかもっていう気持ちはあったんですけど、気づくのが遅すぎました。たぶん身体のほうが無理だったかな、と。腰が、今でも痛いんですけど、投げると腰が痛すぎて、よくここまでやってきたなと思った自分がいたんです。そうなったらもう、野球人としては終わりですよ」

 腰の痛みさえなければ、もうちょっとプロとしてやっていけたかどうかを聞いてみたが、寺田自身は否定的だった。

「別に腰が痛くても、痛くなくても、たぶん変わってないと思います。自分で言うのはおこがましいですけど、センスがないなかで、しかもこの体格で、自分の持ってるものをフルに使いきったと思っています。だから、なんとかここまできたけど、これ以上先には進めないな、と。本当に、小学校の時から運動神経は別にいいわけではないし、何かが特別すごいとかもなかったし、だからもうたぶん燃やし尽くしたなっていう感じです。自分のなかでも、大往生ですね、野球選手として。

 ただ、そんな野球で僕は何かを成し遂げたっていうか、プロにいっただけですけど、いけたっていう達成感みたいなものは自信になりました。センスのない小僧が野球を続けられた環境があることのありがたさにも気づけたし、いろんなものが見えるようになった気がしました。球団とかファンの方には申し訳ないんですけど、僕本位で考えるとすれば、こんなにいい、ありがたい経験はないなという感じです」

 ちなみに、寺田にNPBで印象に残ったシーンを聞いてみると、次の答えが返ってきた。

「ヤクルトの村上宗隆選手とイースタン・リーグで対戦したことがあったんですけど、場外ホームランを打たれました。『はー、よく飛んでるな』って印象に残ってます。『うわ、すげー!』って思いました。本当に打者のレベルが高くて、自分としてはもう何を投げていいのかわからないような感じでしたね」

戦力外通告を受けたあと、一念発起。医学部に合格した寺田さん戦力外通告を受けたあと、一念発起。医学部に合格した寺田さんこの記事に関連する写真を見る

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