斎藤佑樹が振り返る幼少時のほろ苦い記憶「せっかく野球を始めたのに...1球でやめました」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 父は僕に対して、自分の人生においてまずは身になることを考えなさい、という教えを貫いていたんだと思います。思えば高校の時も、甲子園で優勝したお祝いに腕時計をプレゼントすると言ってくれたことがありました。その時も「佑樹がカッコいいと思う時計よりも実用的な時計を」と言って、ソーラー電池で半永久的に正確に動く電波時計を選んでくれました。そういう父の考えは、見た目に流されないようにということを教えてくれた気がします。

 サンタクロースが最後にくれた1万円ですか? 『YAIBA』の刀は買いませんでした。自分なりにこのお金をどう使えばいいのか、考えたんでしょうね。で、何を買ったのかは覚えてないけど、刀じゃないというところには思い至った。小さい頃から周りを観察して、自分はどう振る舞うべきなのかを考える子どもだったんでしょうね。

【一度だけ父に激怒されたワケ】

 僕が初めて野球の試合に出たのは、小学校1年生の時でした。兄のチームの練習を観に行っていたら、「打ってみるか」と言われてバッターボックスに立ちました。写真が残っているのでこれは後づけの記憶かもしれないんですけど、ユニフォームも着ていない、いっぱしにヘルメットをかぶって構えている姿はなんだか様になっているんですよね。

 初めてのグラブは兄が使っていたローリングスの内野手用のグラブです。あれはセカンド用だったのかな。濃い茶色で、四角い革パーツがウェブに組み込まれたワンピースタイプのグラブだった記憶があります。当時、ジャイアンツの仁志敏久さんが使っていたタイプですね。

 その次がミズノの黒のグラブです。初めて僕が買ってもらったグラブでした。小学校3年か4年生の時だったかな。やっぱり3年生まではチームに主力選手だった兄がいて、僕のなかにある記憶はほとんどが応援しているシーンなんです。兄が中学に行ってから、ようやく自分がプレーしている記憶が増えてきた感じですね。

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