なぜ稀代の知将・野村克也は「憎たらしいほどかわいい」と新庄剛志を愛したのか (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Kyodo News

「銀座で飲むのは一流プロ野球選手のステータスだった。だから、女を口説きに行っていた。『英雄色を好む』と言うやろ。ワシは先に色を好んで英雄になろうとした。なれなかったけどな(笑)」

 また、こんなエピソードも教えてくれた。

 昭和40年代、両リーグで活躍した各2名に外国の航空会社からヨーロッパ旅行のプレゼントがあった。ある年、セ・リーグからは長嶋、王、パ・リーグから野村、稲尾和久が選ばれた。同年代の選手たちの長旅は楽しかったそうだ。帰りのお土産屋で随行スタッフから「土産屋は何軒か寄りますので、ゆっくり決めてください」との説明があった。

 にもかかわらず、長嶋は「オレはこれでいい」と即決。ノムさんは「チョーさん(長嶋)、いま何軒か寄ってくれると話があったばかりじゃないか」と頭を抱えた。せっかちで忖度するタイプではない長嶋を見て、性格的に親友になれないだろうな......と、その時に思ったという。

 そんなノムさんはヤクルトの監督時代、巨人の指揮を執っていた長嶋を「カン(勘)ピューター」と言って挑発した。だが、本当は長嶋のことが好きだった。「好きな女の子にちょっかいを出す」といった心理に似ているのかもしれない。

 晩年、ノムさんの自宅にはONとの3ショットの記念写真が飾ってあった。ライバルであると同時に、戦友でもあったのだろう。

【サッチーとの"婦唱夫随" の関係】

 ノムさんへのロングインタビューの際、サッチーこと沙知代夫人への30分のグチが最初のルーティンだった。しかし、沙知代夫人は2017年に亡くなった。当然ながら、グチはなくなり、時折、寂しそうな表情を見せていた。

 いまにして思えば、グチは愛情の裏返しだった。現役時代から球界を代表する名選手として名を馳せたノムさんに、言いたいことを言う女性など皆無に等しかった。そんななか、グイグイ引っ張ってくれるサッチーにベタ惚れだった。夫唱婦随ならぬ"婦唱夫随"。ノムさんは根っからの女房役タイプだったのだ。

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