2022.01.31

県トップの進学校から高卒でプロ入り。中日の監督まで務めたレジェンド

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 ただ、「ショートからホームランを見たんだそうです」と伝えた言葉に対して、「ショート? 僕はだいたい、ピッチャーか、センター」と反応してくれたのはありがたく、すんなりと対話に入ることができた。中学時代の話の流れから、中さんを地元の有名人にしたという「陸上の記録」について聞く。

「中学3年のときに100メートルで。それから何年かあとに記録は破られました。高校でも両方やってましたね、夏休みだけ。野球で負けたら陸上に行って。ははっ」

 エースで、4番で、主将。さらには生徒会長まで務め、陸上部の助っ人として400メートルリレーで国体にも出場した中さん。それでいて学業もトップクラスだったとは......。ある文献には、実際に東大志望といわれたほどの秀才、と記されていた。

「いやいや、東大っていうよりも東京六大学。ラジオで六大学の野球ばっかり聴いてたから。だいたい、大学行くんなら、たぶん野球やりますからね。だから夢は持っていたけど、3年の夏に負けたあと、まだどの大学に行くなんて考えないですよ。それで夏休みが終わった時点で、試験勉強、始めるわけです」

 往年の名選手の取材で、高校3年時に受験勉強を始めた、という話はいまだかつて聞いたことがない。新鮮な印象を持ちつつ、マエタカは本当に全国屈指の進学校なのだ、と実感する。

「勉強始めてね、『どこ行く?』ってみんなで話してて。そのときにプッとこう、来たんですよ、ドラゴンズが。志望校決める前に。ああ、これから試験勉強かーって考えたときにね、タイミングよく、ポーンと来たから。それじゃあ、プロでやってみようかなあって。簡単に決めちゃった。ははっ。

 好きな野球がやれるんなら、そっちのほうが楽ですもんね、勉強やるより。でも、ドラゴンズが来たのは、まぐれって言うとおかしいけど、運でしかないんですよ。本当は別の選手を獲りに来てたんだから」

 スカウト役は、当時、中日の二軍監督だった宮坂達雄。茨城高からノンプロの高崎理研に入った大和田明という外野手を狙っていたが、一足違いで西鉄(現・西武)に獲られてしまう。が、宮坂はその後すぐには名古屋に帰らず、明治大時代の同級生が前橋の銀行にいる、と思い立って会いに行くと、「前橋高に足の速いのがいる」と教えられたそうだ。