松坂大輔も追い求めた幻の一球。水島新司さんの名作に込められた「真のプロ野球のあり方」

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 その後の小次郎は、出逢ってしまった"光のボール"を探し求める。

 ボールをギリギリまで長く持って、低めに投げる。そこからホップさせたいのだが、ワンバウンドになってしまう。もしかしたら生涯でただ一球の、もう二度と投げられないかもしれない"光のボール"を求めるがあまり、小次郎はそれまでの快刀乱麻がウソのような乱れ方をするようになる。突如コントロールを乱し、フォームがバラバラになって、すっかり勝てなくなってしまったのだ。

 そのままでも相手を封じ込めるボールを持っているのに、あえて夢を見る。しかも、絵空事ではない。かつて自分で投げたことがあるリアルな一球を追い求めた、たしかな夢だ。

 しかし、その光る球をどうやって投げたのか、自分でもよくわからない。たしかな感触だけは指先に残っている。ボールから離れた瞬間の不思議な感触。その瞬間、たしかにボールは光ったのだ。最高のバランスが生み出した奇跡の一球。

 それが、"光るボール"──。

 荒唐無稽な話だと笑われてしまうかもしれない。

【新田小次郎の境地にいた松坂】

 しかしなんと現実の世界で、松坂もまた、そんな夢を描いてマウンドに立っていた。自らに無限の可能性を信じてやまない、怖いもの知らずのティーン・エイジャーはボールを"光らせよう"として、もがいていたのだ。紆余曲折だった松坂のプロ2年目、挫折を味わったプロ3年目、彼はまさに小次郎の境地にいた。松坂はこう言っていた。

「ああいうマンガって参考になりますよね。僕もああいう球を投げたいですからね。今の自分とダブるところがいっぱいありますよ。"光のボール"って低いところからグーッとホップしてくるボールでしょ? やっぱ、光るってイメージなんでしょうね。で、ちゃんと投げられなければ、下に落っこっちゃう......うーん、やっぱり同じだ(笑)」

 思えば、松坂にもそういうたしかな一球があった。

 1998年5月20日──松坂が横浜高校の3年春、大宮で行なわれた春季関東大会の決勝、日大藤沢高との一戦。松坂は延長13回を一人で投げ切り、2安打完封、19個の三振を奪った。その試合、松坂はこれまでにない不思議な感覚に包まれていた。

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