五十嵐亮太から直電で引退報告。元ヤクルト二軍監督の八重樫幸雄が明かす「ロケットボーイズ」誕生秘話 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【昨年、引退報告の電話をもらった】

――五十嵐さんといえば、現投手コーチの石井弘寿さんと一緒に「ロケットボーイズ」として当時のヤクルト中継ぎ陣を支えました。

八重樫 亮太というと「コントロールは悪いけれど勢いのあるボールで打者を抑える」というイメージが強いと思うけど、初めの頃は亮太よりも石井のほうがもっとコントロールが悪かったんです。一時期、石井には「野手転向」の話もありましたから。

――そういう報道もあったような気がしますが、現実的な話だったんですか?

八重樫 僕は「野手でもいいのかな」と思っていました。足のさばきも上手だし、バッティングも光るものがありましたから。だから、二軍の西都での秋季キャンプではスタンスを広めにとって、ノーステップで200本くらいティーバッティングをさせたこともありました。もちろん、小谷さんにも相談はしたけど、小谷さんはいつも「もうちょっと辛抱しましょう」と粘り強く指導していましたね。

――小谷さんの我慢強さがあればこそ、五十嵐亮太、石井弘寿のロケットボーイズは誕生したんですね。

八重樫 亮太も石井も、小谷さんには頭が上がらないと思いますよ。亮太に関しては僕も、入団時から見ていた高卒ルーキーがメジャーリーガーになったこともそうだし、ソフトバンクを経てヤクルトに戻ってきて、古巣で引退したこともそうだし、とても感慨深いものがありますね。......そうそう、去年も引退する時に電話で報告をもらったんです。

――いつ頃、どんなタイミングでの報告だったんですか?

八重樫 引退報道が出てすぐだったかな? 携帯に着信があったんですが、表示されていたのは一軍打撃コーチの「杉村繁」。杉村の携帯電話からかかってきたんです(笑)。それで「亮太に代わります」となって、直接引退の報告を受けました。入団直後に古田(敦也)を見て興奮していたこと、夜中にひとりで走っていたこと、アメリカで活躍したこと、ヤクルトに戻ってきたこと......。いろいろなことが思い出されてグッときましたよ。

――五十嵐さんも、いつかは指導者として野球界に戻ってくるべき人材ですよね。

八重樫 テレビで解説している姿も見たけど、明るいキャラクターで華もあるし、話している内容も理路整然としていてすごくわかりやすいですよね。近い将来、またユニフォームを着ることもあるだろうから、その時を楽しみに待ちたいです。

(第97回:川端慎吾はプロ入り時点で「完成されていた」>>)

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