2021.12.10

コンニャク投法サウスポー佐藤政夫は「現役ドラフト」で巨人から放出

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「でも、12人の半分近く、私は関わりあるんですよね。金田さん、稲尾さんはロッテのときの監督で、ウォーリーは中日、関根さんは大洋の監督。それから前川さんはね、私が巨人に入ったときのスカウト部長。この人たちみんな会ったの? それは大変だったでしょう。金田さんなんか天皇陛下だからね」

 思わず笑ってしまった。400勝投手の金田正一(元・国鉄ほか)は[球界の天皇]と呼ばれたが、「陛下」を付けて称する人には会ったことがない。まして、稲尾和久(元・西鉄)、ウォーリー与那嶺(元・巨人ほか)、関根潤三(元・近鉄ほか)、前川八郎(元・巨人ほか)といった名前がすらすら出てくる野球人も滅多にいないだろう。

 作家・山際淳司のノンフィクション作品に佐藤さんを取材した一編がある。冒頭で[流浪のサウスポー]と称しているのだが、まさに、4球団を渡り歩いて米球界まで経験した野球人も滅多にいない。竹友会での黒のスーツは紺のジャケットに変わり、髪もサラサラになっているが、精悍な印象はあのときとまったく同じだと感じる。

「竹友会というのは、私たちが始めたんです。竹田先生が監督になってからの東北高校がいちばん最初に甲子園に行ったとき、私たち3年生でね。だからたまに冗談で言うんです。『先生が今こうしてあるのもね、オレのおかげだって』。人間、60になると歳は関係ない。いいオッサンになったら3つ4つ上だって関係ないですから」

 1968年、竹田監督が就任して1年目の夏、東北高は甲子園に出場した。主将でエース兼4番の若生(わこう)正広と、左腕の佐藤さんが二枚看板だった。「オレのおかげ」とは、宮城大会・仙台商高との準決勝、佐藤さんの2点タイムリー三塁打で2対1と逆転勝ちしたことを意味する。築館(つきだて)高との決勝は10対1の楽勝だったから、準決勝の逆転打こそ大きかったというわけだ。

「もちろんその頃の先生には言えないですよ。厳しくて怖い、という印象しかなくて、会話にならなかったですからね」