コンニャク投法サウスポー佐藤政夫は「現役ドラフト」で巨人から放出

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第22回 佐藤政夫・前編 (記事一覧を見る>>)

「昭和プロ野球人」の過去のインタビュー素材を発掘し、その真髄に迫る当シリーズ。第22回はとりわけマニアックな変則サウスポー・佐藤政夫さんとの対話を紹介したい。構えてからボールを投げるまで、くねくねと動く摩訶不思議な投球モーションで「タコ踊り投法」「コンニャク投法」などと呼ばれ、当時の小学生にモノマネされた佐藤さん。

 その球歴は、プロ入り1年目から実質的な"現役ドラフト"に近い「トレード会議」(1970〜72年のみ実施)の対象となるなど、短期間で移籍を繰り返す波乱万丈なものだった。打者もファンも幻惑した技巧派ピッチャーは、どのようにプロの厳しい世界を18年間も生き抜いたのか。


力感のない不思議なフォームでプロ18年間を投げ抜いた佐藤政夫(写真=時事フォト)力感のない不思議なフォームでプロ18年間を投げ抜いた佐藤政夫(写真=時事フォト)

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 佐藤政夫さんに会いに行ったのは2016年5月。きっかけは佐藤さんの母校である東北高と、当時の竹田利秋監督だった。その年の正月、都内のホテルで竹田監督の誕生会が開かれたのだが、縁あって僕も出席させてもらった。東北高で甲子園を目指した中学時代の友人、S君が幹事を務めていて招待された。

 東北高のみならず、同じ宮城の名門・仙台育英高も率いた竹田監督。両校で計27度の甲子園出場を果たし、1996年からは國學院大監督、2010年から総監督を務める。この3校の教え子たちが一堂に会する誕生会は「竹友会」と称され、過去20年以上、毎年開催されていた。

 立食形式で200人以上を収容する宴会場に入ると、幹事にして司会進行も務めるS君がまず竹田監督を紹介してくれた。挨拶のあと、3校出身のプロOB、現役の選手も含めて20人近く、次々に引き合わせてくれたのだが、そのうちの一人が佐藤さんだった。S君が言った。

「佐藤さん、お話し中、すいません。オレの中学時代の同級生です。長嶋の現役最後の打席で投げたんですよね?」

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