「調子がよかったら10割打つのでは、というイメージ」谷繁元信が対決を楽しんだ6人の日本人バッター (2ページ目)

  • 中島大輔●取材・文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Jiji Photo

 前田も含め、あらゆるバッターには「弱点」がある。ただし、リードする捕手としては必ずしもその穴を突けばいい、というわけではないという。

「バッターも、そこを攻められることはわかっていますからね。だから違うところでカウントを取りつつ、『もうないな』というところでその弱点を突いていくとか。プロ野球では打席数が増えていくので、同じ攻め方をするばかりではいけない。『今日は弱点を集中して攻めよう』とか、手を変え品を変え、みたいな配球をやっていかないと、なかなかこっちの思惑どおりに抑えさせてくれないバッターたちでした」

 谷繁氏が特にそう感じさせられたのは、前述した前田に加え、和田一浩(西武、中日)、小笠原道大(日本ハム、巨人、中日)、古田敦也(ヤクルト)、阿部慎之助(巨人)、そして金本知憲(広島、阪神)だった。

「自分のなかでインパクトがあって、すごいなと思ったのは和田ですね。2004年の中日対西武の日本シリーズで、川上憲伸のシュートをポール際に打たれたのが鮮明に残っていて。あのボールをホームランにできるか、と」

 2004年10月16日にナゴヤドーム(当時)で行なわれた日本シリーズ初戦。4回表、川上が和田に対し、内角のベルトよりやや高めにシュートを投げると、弾丸ライナーをレフトスタンドに運ばれた。

「見逃したら、ボールではないかなという球でした。和田が振りに出た瞬間、これは詰まると思ったんですよ。案の定、詰まったんですけど、スタンドまで持っていかれました。その瞬間、度肝を抜かれましたね。マジか、みたいな」

 オープンスタンスで、バットを高く持って構える和田は、西武時代の2005年に打率.322で首位打者に輝いた。現役19年間で通算打率.303、歴代39位タイの319本塁打と、一発もある右打者だった。

「構えは開いているように見えますが、左足のつま先は45度くらいで踏み込み、左の肩は開かないんですよ。バットがいい角度で出てきて、下半身も粘れる。僕らから見ると『あっ、崩されたかな』と思っても、和田からすると自分のバッティングの範囲内で、崩されていないんです。のちにドラゴンズでチームメイトになって、和田のバッティングを見ているのは面白かったですね」

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