「頭のどこかで将来は医者を目指すだろうと...」そう思い続けていた元プロ野球選手・寺田光輝の壮絶半生 (2ページ目)

  • 村瀬秀信●文 text by Murase Hidenobu
  • photo by Sportiva

石川 そういったケガに苦しめられた経験が、やはり引退後に医師を志すきっかけになっているんですか?

寺田 それもあると思います。でも一番大きかったのは、やはり実家が開業医で、親族も医師が多い家系だったので、小さい時から周りに「大きくなったらお医者さんになるんだよ」と自然と刷り込まれていたように思えます。親からは一度も医者になれとは言われたことはないんですよ。なのに、頭のどこかに「将来は医者になるだろう」という考えがずっとあったような気がします。

石川 それでも野球は小学校からやられていたんですよね? その頃の憧れは、医者よりもプロ野球選手だったんですか?

寺田 本当はサッカーをやりたかったんです(笑)。でも小学校にサッカーチームがないからあきらめるしかなくて。代わりに自宅にたまたまグローブとボールがあったので、公園で壁当てをしたらこれが面白くなってしまいチームに入ったんです。

石川 なるほど。たまたまなんですね。野球を始めた時から投手だったのですか?

寺田 そうですね。ただ、僕の守備がヘタすぎたから消去法でピッチャーになったという感じなんです。だから中学でも、最初は軟式テニスをやろうとしていたんですよ。でも、友だちに『野球やろうや』と誘われて、野球をすることになりました。

石川 サッカーの次はテニスですか(笑)。なぜなんですか。

寺田 楽しそうだったんですよ。野球は周りのみんながうまかったので、僕は控えになってしまいますからね。でも控え投手でも、中学の野球で右ひじを壊してしまうんです。しかも医者に診てもらったら「野球を辞めるか、左投げに転向しろ」と言われてしまいまして......僕が調べた限りではそんなレベルのケガではなさそうだったんですけどね。でも某野球マンガでも主人公が左投げに転向するじゃないですか。僕もやってみようと思って(笑)。

石川 すごい! 左投げになったんですか! でもプロでは右で投げていましたよね。

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