石毛宏典が語る広岡達朗と森祇晶。西武の黄金時代はどのように組織化されていったのか (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

――1991年に広島との日本シリーズを終えたあと、石毛さんは「(広島から)野球のひたむきさを学んだ」とコメントし、1992年のヤクルトとの日本シリーズ後には「野球のすばらしさを学んだ」と言われていたのが印象的でした。勝ち続けるなかでも謙虚に学ぶ姿勢を持ち続ける大切さを感じたのですが、歴代の監督からの影響もあったのですか?

石毛 根本さんや広岡さんからいろいろな野球人の人生を教えられて、そういった感性が磨かれてきたということはあったと思います。勝ち続けると横柄になってしまうことってありますよね。でも僕は、勝つことによって相手の弱点を探すのではなく、相手のいい部分を見つめていこうという思考になっていきました。

 実際、広島のひたむきに戦う姿勢は見習わなきゃいけないと思いましたし、「ID野球」と言われたヤクルトとの戦いでは、互いに力を結集してどっちに転んでもいいような死闘になりました。それによって、西武というチームの結束力を感じることができたから出てきた言葉だと思います。

――日本シリーズのような最高峰の戦いに挑むにあたって、広岡さんや森さんは選手たちにどんな言葉をかけたり鼓舞したりしていましたか?

石毛 森さんは冷静な口調でゆっくりと語る方で、それはシーズン中でも日本シリーズの前でも変わりませんでした。広岡さんのほうが、心情が見えたように感じます。是が非でも勝ちたいという気持ちを出したり、選手たちに発破をかけたり。特に、"いろいろあった"巨人が相手の場合は燃えるものがあったでしょう。

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