西武監督の広岡達朗から「練習に参加しなくていい」。代わりに石毛宏典は木刀と道着を持って新宿に通った (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

――コンディション調整についての指導もあったんですか?

石毛 自然食の権威と呼ばれる先生を招いて、「人間の体は疲れると酸性になるので、アルカリ性にするために食事の管理が必要だ」という食事の講義をやったりしました。

 あとは、スキルアップのために合気道を取り入れて、身のこなし方を矯正されました。その際、「お前らはこうすれば上手くなる」と言いながら理論を話してくれて、お手本となるプレースタイルを実際に見せてくれたのでわかりやすかったです。

――合気道を取り入れていたということですが、どのように野球に活かしていたのですか?

石毛 当時、藤平光一(とうへいこういち)さんという先生が新宿で道場を運営していました。藤平先生は「心が身体を動かす」という氣の原理に基づいた心身統一合気道を広めた方で、広岡さんも指導を受けられていました。

 合気道は「統一体」という言葉を使うのですが、肉体的、精神的にバランスのいい身のこなしは合気道も野球も同じだと。臍下(せいか:へその下)の一点に心を静めて、そこを中心に動けば決してバランスは崩れない、神経が集中していれば慌てることもない、といった考え方です。

 合気道は相手の氣が先に動くんです。相手が自分を殴ろうという氣が起きたら手が出てくる。その氣を事前に察することで殴ってくる相手をかわし、関節技をかけていくんですけど、そういうことが大切なんだと。野球でいえば、中心の軸をしっかりさせて、バランスを保ちながら体を使っていくということでした。

――レギュラーシーズンやキャンプがあるなかで、石毛さんはいつ合気道を学んでいたんですか?

石毛 僕が若くて未熟だった頃は、通常であればペナントレースが終わって秋季練習に入っていくところを、「お前は練習に参加しなくていい。そのかわり藤平先生の道場に行って合気道を習ってこい」と言われていました。ユニフォームやグラブではなく、道着と木刀を持って新宿の道場まで通っていたわけですが、それが2~3年続きましたね。

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