阪神が初の日本一となった1985年。胴上げ投手ゲイルが語る当時のタイガース「マユミはメジャーでも通用した」

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • photo by Sankei Visual

 優勝こそ逃したが、今シーズンの阪神の戦いをゲイルに伝えると、次のように喜んだ。

「サウスカロライナで阪神戦をテレビで見ることはできないですが、インターネットで試合結果は調べることができる。ジャイアンツより上だっただけで満足ですが、今年は日本一まで頑張ってほしいですね」

 今年の阪神の活躍をうれしそうに話しながら、ゲイルは36年前の猛虎たちの戦いを振り返った。

「オカダ(岡田彰布)、カケフ(掛布雅之)、マユミ(真弓明信)など、本当にいいチームでした。不動の1番ライトだったマユミのことは"ジョー"と呼んでいたのですが、彼はメジャー級の選手でした。パワーがあって、俊足で、肩も強かった。カケフもメジャー級でしたね。パワーはやや劣りましたが、アベレージヒッターで、走塁や守備は十分に通じたと思います。

 そしてセンターのキタムラ(北村照文)は信じられないぐらい足が速かった。私が失投して打たれた打球を一生懸命走って捕ってくれました。(日本シリーズの)第6戦は9番センターでしたね」

 その6戦といえば、もうひとりの外野手がチームを支えた。6番レフトの長崎啓二(現・慶一)が初回に満塁本塁打を放ち、ゲイルにいきなり4点をプレゼントした。

「本当に大きかったです。初回に7、8点だったら逆に時間が長すぎて大変ですが、4点はちょうどいい。直後の1回裏に1番のイシゲ(石毛宏典)にホームランを打たれましたが、4点あったのでまだまだ気持ちに余裕がありました。イニングが進むにつれ、ちょっと調子に乗ってランディに『勝つぞ!』って合図を送っていました」

 ゲイルが言うランディとは、阪神史上最強の助っ人と評されるランディ・バースのことだ。1983年に阪神に入団して、3年目の85年には54本塁打をマーク。ゲイルもランディには相当助けられたという。

「ランディはすでに日本の野球や文化に触れていたから、いつもアドバイスをくれました。彼がいたから早くチームに溶け込むことができたし、落ち着いてプレーすることができました。今でも覚えているのが、春のキャンプでランディが『戦力的にこのチームは十分可能性がある』と言っていたことです。野手は経験豊富なベテランが多くて、チームに必要なのは先発ローテーションの中心として投げてくれる投手だと。そのために私を獲得したのだと気づき、『よし、やってやろう』と思いました」

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る