山田哲人がランナーの時にだけ起きた異変。井端弘和コーチが東京五輪の裏話を明かす (2ページ目)

  • 寺崎江月●取材・文 text by Terasaki Egetsu
  • photo by Osada Yohei/AFLO

――どんな話題にするか難しいところですね(笑)。"稲葉ジャパン"として、チームのスローガンなどはあったんですか?

「特になかったです。国際試合だと、『誰がスタメンになるのか』といった探り合いのような空気も出るんですが、しっかりと軸を決めて強化をしてきたこともあって、そういった言葉がなくてもそれぞれの選手が自分の役割を理解し、チームにまとまりがあったように感じます」

――大会中に苦労したことや、つらかったことは?

「野球チームはホテルでの"バブル方式"での生活でしたが、練習や試合をするよりも精神的につらかったです。コンビニに行くといった少しの外出も禁止されていましたからね。ただ、選手たちはシーズンで同じような生活様式に慣れているのか、最初から不満を見せることなく過ごしていましたよ。僕たちコーチ陣も慣れていって、逆に外に出ず落ち着いて過ごせることが快適になっていきました」

――東京五輪に向けての準備について、まずは野手の選考で悩んだ点などはありますか?

「野手に関しては、特に大きく悩むことはありませんでした。基本は2019年のプレミア12を戦ったメンバーを軸に、という方針でしたから。新しく入った選手も、けが人や調子の良し悪しで入れ替えた程度です。

 近年、秋山翔吾か丸佳浩が務めていたセンターは、ケガが回復して調子もよかった柳田悠岐に。ユーティリティプレーヤーとして考えていた外崎修汰が4月に骨折してしまったところには栗原陵矢を充てました。栗原の出番は、ノックアウトステージ初戦のアメリカ戦での1度きりでしたが、タイブレークでのバントというプレッシャーがかかる起用に見事に応えてくれましたね。

 栗原は、これまで松田宣浩が務めていたムードメーカの役割も果たしてくれました。ソフトバンクのチームメイトである松田譲りなのか、自分からチームに溶け込もうとする姿勢が見えましたね。サードのスタメンとしては、年齢的にも村上宗隆でいこうとなりました」

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