山田哲人がランナーの時にだけ起きた異変。井端弘和コーチが東京五輪の裏話を明かす

  • 寺崎江月●取材・文 text by Terasaki Egetsu
  • photo by Osada Yohei/AFLO

井端弘和「イバらの道の野球論」(18)
東京五輪総括 前編

 野球が1992年のバルセロナ五輪で正式競技になってから(2008年北京五輪からリオ五輪まで除外)、初めての金メダルを獲得した侍ジャパン。大会の1年延期など不測の事態があるなかでチームが一丸となり、悲願を達成したシーンは大きな感動を呼んだ。

五輪開幕までにチームを固めていく過程にはどんな苦労があったのか。日本代表の内野守備・走塁コーチを務めた井端弘和に、その内情と開幕後のチームの戦いについて聞いた。

東京五輪の決勝で勝利し、村上宗隆(左)に抱えられる山田哲人東京五輪の決勝で勝利し、村上宗隆(左)に抱えられる山田哲人この記事に関連する写真を見る***

――あらためて、金メダル獲得おめでとうございます! そしてコーチングお疲れさまでした! 金メダルを獲得した瞬間はどんな気持ちでしたか?

「金メダルを獲得できたうれしさよりも、ホッとしたことが一番です。監督やコーチなどは指示はできても、選手のように試合の展開を自らのプレーで変えることはできませんし、評価は勝ち負けで判断されるところが大きいですからね。負けたら、ファンやメディアから何を言われるだろうか......と頭をよぎることもあったので、それを回避できたことの安堵感もありました」

――その歓喜の瞬間から1カ月以上が経ちましたが、五輪の戦いを振り返ることはありましたか?

「他の種目もそうかもしれませんが、金メダルの余韻に浸る時間はあまりなかったですね。コロナ禍ですから祝勝会などもできませんでしたし、選手たちはペナントレースを戦うモードに入ってしまいますから。今はプロ野球の優勝争いが白熱していますし、東京五輪は遠い昔の話のようです。

 稲葉篤紀監督などとも、軽くねぎらいの言葉をかけ合ったくらいですね。監督やコーチ陣で主に業務連絡で使っていたLINEのグループがあるんですが、それも東京五輪が終わってからパッタリ止まってしまって。僕が何かしらの連絡をして、そこに風穴を開けようかと考えているところです(笑)」

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